ボケとツッコミの呼吸が合って、どんどん親しくなる

翌日、名古屋駅に行くと、今度はシズ子が困惑する番だった。改札口に穎右がいる。

「やっぱり道連れさせてもらおう思いまして、もう笠置さんの席も取ってあります」

そう言って彼女のスーツケースを抱えて列車へと先導する。レディー・ファーストが身についている。穎右の洗練された行動に心がまたときめいて、9歳の年齢差が意識からしだいに遠ざかってゆく。

道中の列車の中では話も弾んだ。シズ子が冗談を言えば、間髪容れずに気の利いたツッコミが返ってくる。やはり、波長があう。穎右はシズ子が列車を乗り換える神戸まで一緒について来て、荷物の上げ下ろしなど甲斐甲斐しく世話を焼いた。

神戸駅のホームで別れの挨拶をすると、名残惜しさがまた胸にあふれてくる。もっと一緒に居たい。立ち去ってゆく穎右の後ろ姿を見つめる。それは、もはや恋する乙女の目になっていた。

相生での興行を終えて東京の家に戻ると、穎右からの手紙が届いていた。名残惜しい気持ちは相手も同じだったようである。

夏休みが終わって穎右が東京に戻ってくると、シズ子は我慢しきれず一人暮らしの彼の家を訪問した。それを2回3回と繰り返すうち親交は深まってゆく。しかし、ふたりは恋人同士といった感じではなく、傍はたから見ても姉と弟のようにしか映らない。

最後の一線は越えず、親しい友達の間柄でとどまっていた。

坊ちゃん気質なのだろうか、穎右はおっとりして優しい性格だったという。それをいいことにシズ子は、「あれを買こうてきといてな」と、横柄な態度で用事を頼んだりする。また、

「なんや、興行師の子せがれの癖に」

などと、小馬鹿にしたような口を聞くこともよくあった。まるで姉が弟をからかうような……それを意識しての言動だったのかもしれない。

恋仲になれば母親の吉本せいに猛反対されることは見えていた

吉本せい(写真=朝日新聞社『アサヒグラフ』1948年10月27日号/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

ふたりが恋仲になっても、結婚は絶対に許されない。息子が9歳も年上の女性と交際していると知れば、普通の親でも猛反対する。吉本興業の跡取り息子となればなおのこと。周囲から祝福されることのない関係はいずれ破局する。不幸な結末が目に見えている。それなら姉弟のような親しい関係のままで、いつまでも楽しくつき合うほうがいい。深入りせぬよう予防線を張っていたのだろう。

穎右もシズ子にはファンや友人という粋を越えた恋愛感情を抱くようになっている。

が、自分の立場を考えると軽はずみな事はできない。沸き起こる恋愛感情を抑えて、擬似姉弟の関係がつづく。

友達以上恋人未満。そこから先になかなか進めない。恋愛ドラマではよくあるパターンで、観ている側にはじれったい。あれこれと理由をみつけて行動を起こさないとを正当化するのは、現実世界でもよく見られること。恋に奥手な者たちにはありがちだ。