当時の有を、郁代さんは「自分の置かれている立場が重くなるにつれて、“修行僧”じゃないけど、野球に対してすごく注力していった」と振り返る。

「自分のことで精一杯だったと思う。それに、もともと有はすごくシャイなんです。家族に対しても。例えば、『賢太、どうしてんの?』と自分からどんどん話しかけるようなタイプではないですし」

兄弟がこころの距離を詰める機会はなかなか訪れなかった。

その当時、郁代さんにとって、より困難を極めたのは、次男である翔さんの子育てだった。シャイな有と百八十度異なり、「人懐こくて寂しがり屋」(郁代さん)。人に近づきすぎれば軋轢も生まれ、思春期も相まってケンカが起きる。14歳での初逮捕は校内での傷害容疑だった。いつしか「ワルビッシュ」と呼ばれるようになった。

「お兄ちゃんが突き抜けてしまったことによって、周囲の彼(翔)の扱い方の変化とかさまざま(要因は)あると思います。私がもっと小さいときからしっかりと受け止めていたら、こうなってなかったんじゃないかと悩みました。翔は気持ちが斜めに向いてしまっているので、何を言っても、『そんなん、今言ってるだけやろ』と後ろを向かれてしまう。すでに手遅れなのかな、と……」

一緒に死ぬと思い詰め

世間に迷惑をかけるばかりだ。一緒に死ぬしかない――そこまで思い詰めたこともあった。

「私が自分で死ぬだけだったらまだ楽ですよね。でも翔も一緒に……となると、それがどうしてもできなかった」

翔さんの性格や特性はもちろんのこと、嘘がつけない素直さや、人一倍あるエネルギーを知っていたからかもしれない。加えて、賢太さんが生きる支えになった。中学生だった末っ子の前で、郁代さんが「私の子育てが間違ってたんや」「どこで間違えたんかな」と泣きながら吐露すると、賢太さんは「いや、マミーはまちごうてへん」と励ましてくれた。そして言った。

「いつか、絶対ばっちりいくときが来るって!」

スター選手の弟の不調法を人は貶める。だが、一度たりとも間違わずに子育てできる親がいるだろうか。

郁代さんは当時を振り返り、「翔と乗り越えてきた経験が自分を人間として大きく成長させてくれ、真に大切なものは何かと気づかせてくれた」と言う。