きっかけは幻の「30周年記念、荒川河川敷ライブ」だった

バンドとしてのエレカシは1988(昭和63)年にデビュー。当時バンドの追っかけをしていた同級生がおり、彼女の話を聞く限りでは、どこかとんがった、インディーズ系パンクバンドのような印象があった。まだメジャーではない時代、渋谷のライブハウス前で機材を自分たちで運搬するメンバーたちをファンが取り巻いていたという。

宮本さんは、1960~70年代にかけて活躍した米ロックバンド、ドアーズのボーカリストで早逝したジム・モリソン(1943~1971)が好きだと発言しており、それに重なるような印象もあった。そんなイメージにちょっとローカルな「赤羽」はそぐわないと考えたのか、エレカシが赤羽出身であることは、ファンの間では知られていたにせよ、積極的にバンド側から発信されていたふしはなかったように思う。

画像=プレスリリースより

こうしたエレカシのイメージ戦略に、変化の兆しが見えたのは、デビュー30周年を控えた2017(平成29)年12月。「紅白歌合戦に出場した前後ではなかったかと思います」と東京北区観光協会の杉山さんは推測する。

翌年の2018(平成30)年3月のデビュー30周年を記念して、「荒川河川敷で野外コンサートができるかどうか、調べてほしい」といった打診が同観光協会にあったのだ。動員目標数は約1万5000人、実現すればもちろん、荒川河川敷では初めての大型野外ライブとなるはずだった。

実現寸前で頓挫したけれど…

荒川河川敷では、埼玉県内や足立区など複数の地域で花火大会が開催されてきた。東京北区観光協会では、2012(平成24)年から荒川河川敷で「北区花火会」を運営しており、最初は民間有志の働きかけで始まった経緯がある。

民間団体として、河川敷での安全確保をはじめ、管理者である国土交通省と緻密な交渉を重ねてきたノウハウを観光協会では持っている。そのノウハウを、コンサートの企画運営に生かしてもらえないか、といった打診だったという。

観光協会では、例年の花火実行委員会を“エレカシライブ実行委員会”に衣替えし、水面下で関係先との交渉と準備を始めた。実現寸前まで進んだが、デビュー30周年までの開催には間に合わず、結局はとん挫する。

「その代わりに何かしなければ、と考えたのが駅のメロディでした。赤羽はエレカシのファンには『聖地』とされています。僕らの世代でも自分が、兄妹が、もしくは友人がメンバーと同級生だったとか、あえて口には出さないけど誇りに思う気持ちがある。でも地元の人たちは、実際あまり知らないんです。エレカシを赤羽の地元コンテンツとして盛り上げたいという期待がありました」と杉山さんは振り返る。

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