2度目の救急車

そして翌月の2月。父親は相変わらず嘔吐を繰り返していた。そしてその吐瀉物の中に、けっこうな量の血液が混じるようになっていた。

それでも病院を勧めると、「騒ぐな!」と言って聞く耳を持たない。しばらくすると父親は便秘に悩まされ始めた。そこへ遊びに来た叔父が便秘薬を勧めると、父親はすぐに飲んだ。するとたちまち激しい腹痛に襲われ、生まれて初めて父親自ら「救急車を呼べ!」と叫んだ。

搬送された先は、前回と同じ隣町の大病院。レントゲンを撮った後、

「おそらく良くないものが映っています。今ベッドが空いていないのですが、空くまで救急用のスペースに入院していただけませんか?」

犬塚さんが医師から説明を受けていると、父親をトイレに誘導していた看護師が慌てて戻ってきて、何やら医師に相談している。

医師は犬塚さんに向き直ると、「お父さんは下血されたようです。このまま入院させましょう!」と言った。

動揺しながらも、犬塚さんは必要なものを買いに病院の売店へ。しかし閉まっていたため、病院の外のコンビニへ行く。病室に戻ると、不安そうに父親が言った。

「俺、帰れるんだろ? もう帰れるんだろ?」

犬塚さんは、「今日は帰れないよ。検査をしたら帰れるからね。私はまた明日来るからね」

と言い、後ろ髪引かれる思いで病院を後にした。

なし崩し的に始まった介護

父親は生まれて初めて胃カメラ検査を受けた。1週間も拒否したが、主治医が根気強く説得してくれたおかげだった。結果、がんではなく「胃腫瘍」だった。

点滴で薬を入れ、2週間で驚異的な回復を見せた父親だが、退院時には、一人では歩けないほどに足腰が弱ってしまっていた。病院内は車椅子で移動し、タクシーに乗せるときや家に入るときは、犬塚さん(当時40代)が支えなくてはならなかった。

自力で歩けなくなった父親は、排泄はオムツになり、着替えやオムツは母親(当時79歳)が担当。散髪や髭剃りは犬塚さんが担当した。

写真=iStock.com/sasirin pamai
※写真はイメージです

2015年2月。父親の状態はどんどん悪くなり、着替えやオムツ替えは高齢の母親では難しく、犬塚さんにバトンタッチする。

漠然と「介護認定を受けたい」と思っていた犬塚さんだが、母親に相談すると、「よそさまに迷惑をかけたくないし、お父さんが受けるわけがない」と言って拒否される。そのうえ、病院嫌いな父親には主治医がいないため、意見書を書いてくれる人がいない。結局、何の対策も打てぬまま、父親の介護は大変になる一方だった。(以下、後編に続く)

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