2025年大河ドラマの主人公は版元の蔦屋重三郎
それはさておき、重三郎は出版人として、朋誠堂喜三二や山東京伝の洒落本(遊郭文学)、恋川春町らの黄表紙(大人向けの読み物)、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵などの出版を手がけます。しかし、そんな重三郎と作家を定信の出版統制令(1790年)が襲うのです。出版統制令は、時事問題などを素早く「一枚絵」にして刊行することを禁止したり、好色な本は絶版ということにしたり、新刊本の奥書には、作者と版元の実名を必ず入れることなどを定めます。
定信の寛政の改革への不満を封じ込め、不届きな本を出した者(版元や作者)がいた場合はすぐに罰する仕組みを整えたのです。その頃、蔦屋と山東京伝は、遊郭を題材とした洒落本『仕懸文庫』『錦之裏』『娼妓絹籭』の刊行話を進めており、既に原稿は完成していました。本は刊行されたのですが、刊行後、重三郎と山東京伝は奉行所から呼び出されます。そして、取り調べの上、重三郎は(諸説ありますが)財産半分の没収、京伝は手鎖50日(前に組んだ両手に鉄製手錠をかけ、一定期間自宅で謹慎させる)という罰を受けるのでした。
重三郎は遊郭を題材とした洒落本を出版し財産を没収された
山東京伝だけでなく、恋川春町や朋誠堂喜三二(平沢常富といい、実は秋田藩家老)も弾圧されています。寛政の改革を批判した『鸚鵡返文武二道』を刊行した恋川春町は、幕府から呼び出しを受けますが、それに応じず、しばらくして、病没します(1789年7月)。あまりにも突然の死に自殺説もあるほどです。
定信の文武奨励政策を風刺した黄表紙『文武二道万石通』の著者・朋誠堂喜三二も前述のように藩の上層部よりお叱りを受け、黄表紙執筆から手を引きました。また、御家人でありながら、作家活動を行ってきた大田南畝は弾圧を恐れて活動を一時自粛したほどでした。出版統制令など出しても、庶民の不満はたまるばかりで良いことなどないでしょう。