母が不倫して産んだ姉は、スターになった妹を妬んでいた

江利チエミと親交があった清川虹子(写真=『映画朝日』第17巻第3号(1940年)、東京朝日新聞社・大阪朝日新聞社/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

A子の境遇に同情し、信用して何もかも委ねたチエミだったが、A子からしてみれば、同じ母親から生まれながら大スターになった妹は、嫉妬の対象で、憎い相手だったのだ。A子の日記には「いつか敵をとってやる」と書いてあったことも、清川は語っている。

チエミは高倉の迷惑にならないよう、1971年に離婚。その翌年、断腸の思いでA子を告訴した。しかし、その理由も、借財の所在をはっきりさせるためで、A子は懲役3年の実刑となった。

一方、清川いわく、チエミは離婚後も高倉のことをずっと好きだったようで、高倉も再婚をせず、チエミが生涯ただひとりの正式な妻となった。

心ならずも高倉と離婚、翌年は搭乗便がハイジャックに

チエミの波乱はそれで終わらなかった。1972年11月6日、羽田空港発福岡空港行きボーイング727を、覆面男が乗っ取り、キューバへの亡命を要求するハイジャック事件が起こる。機長がその要求を不可能として拒絶したところ、同機は羽田に引き返し、乗客だったチエミや三田明などの著名人が人質になったのだ。膠着こうちゃく状態の後、犯人は逃亡用の機材を用意させ、乗客を解放。しかし、逃亡しようとしたところ潜伏していた警察官に逮捕された。

恐怖の6時間半を過ごしたチエミは、「もうどうなっても仕方ないと思ってじっと目をつぶっていました。窓のブラインドを閉めさせられていたので、“羽田に着いた”って言われても信用できなくて……」「飛行機から降りて、ホテルで食事をしようとしたら急に恐ろしさがこみ上げて足がガクガクするんです」と語り、いつまでも青ざめていたという(1996年11月6日/「日刊スポーツ50周年TODAY」より)。

プライベートでは幾度も困難に見舞われながらも、歌手、女優、テレビ番組の司会業でも活躍し、A子による数億円規模に及んだ借財と抵当にとられた実家なども自分自身の力で取り戻したチエミ。1980年11月からは「江利チエミ・三十周年記念」として日本全国縦断も開催した。