1990年代には、女性アナは「ちやほや」されて、社内でも特別な存在だった。しかし、今や女性アナであることはステータスでもなくなってきている。そしてもちろん、楽をして給料がもらえる仕事でもない。

20代のうちは、早朝や深夜勤務、ロケが多い不規則な就労シフトを強いられる。加えて、テレビ局の大きな激変である「配信」に関する仕事も制作現場同様、アナウンサーにとっては大きな負担となりつつある。アナウンサーの賞味期限は長いようで短い。そんななか、ベテランのアナウンサーが、年を取るにつれ隅に追いやられてゆく感覚を覚えるのは、制作のクリエイターより強いに違いない。

そしてキャリアを積んで30、40代になった彼女たちを待っているのは、「人事異動」という恐怖である。志を持ってアナウンサーをまっとうしてきた人であればあるほど、管理職になって現場から外され、若い人たちのシフトや役割を決めたりすることで終わってゆく日々に虚しさを感じる。

キャリアを積むほど居場所がなくなる

しかし、管理職とはいえ、アナウンスの仕事に関わっているうちはまだいい方だ。キャリアを積んでも30歳を過ぎて結婚したり、子どもができたりすると、なぜか別の部署に異動させられることが多くなってくる。特に、「スペシャリストよりジェネラリスト」という方針が強くなってきている昨今では、アナウンサーといえども「いろんな仕事ができる」能力を求められる。

だが、若いころから「アナウンサーになること」だけを目標に頑張ってきた彼女たちが、ある日突然、会社の都合でまったく違う仕事をやれと言われても戸惑うばかりであることは至極、当然である。

この人事異動は女性アナにとっては“精神的に”とても厳しいものだ。会社は「本人の適性を鑑みて“前向きな”人事をおこなった」と言うだろうが、世間はそうは見てくれないからである。ネットや週刊誌では「人気が落ちたからだ」と騒がれ、「左遷された」と揶揄される。“ニュースバリューのある”彼女たちの醜聞ほどネタになる。格好の餌食とはこのことだ。そもそも一般社員の異動なのだから内部情報であるはずなのに、全国津々浦々にまでバレてしまうことはとてもつらい。

そんな事情もあって、「他部署に異動させられるのではないか」と不安に感じた女性アナたちが、結婚や出産を機に、イバラの道とわかっていながらフリーという選択をする。それは、ほかに選択肢がないからである。

1992年にテレビ東京初の新卒採用女性アナとして入社した佐々木明子氏は、入社当初からテレ東において「スポーツの顔」として活躍した。だが、あるとき一念発起して自ら志望し、2006年から同局初の海外赴任アナとしてニューヨーク支局に勤務した。彼女はうまく人事の仕組みをパラダイムシフトできたが、こういった例は稀である。

テレビ東京が入るビル(写真=Akonnchiroll/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons