ハイヒールで営業していたワケ

堀野さんは当時、「ハイヒールの人」と異名を取るほど、高いハイヒールを履いてセールスを続けていた。きっかけは、夫の一言だった。

「あんたはお尻が大きいから、ズボンが合わない。ハイヒールにスカートにしなさい」

編集部撮影
夫と長男と

この一言から堀野さんは、極寒の地・福島で、いくら寒くてもスカートを履き続けた。ストッキングがもったいないから、家に帰れば脱いで素足にスカートで過ごす。

「隣の奥さんは、わたしを見て『よく、素足でいられること』ってびっくりしてた。ズボンを履くようになったのは、主人が亡くなってからですね」

ストッキングからつくった、堀野さんお手製のポーチと筆入れ。ニットのような質感で、夏用の涼しげなポーチのよう。(編集部撮影)

ストッキングといえば、と堀野さんは旦那さんとの思い出をひとつ語ってくれた。当時、堀野さんは大好きな編み物をしたいと思ったが、家計に毛糸を買う余裕がなかった。それで、ダメになったパンティストッキングを切って、伸ばして、輪っかにし、それをゴム繋ぎで繋いで、編み物を楽しんでいたという。

「それで、夫の筆入れも編んだの。これは、うちの人が死ぬまで使ってたものね」

「仕事をやめて、お茶をやりたい」

自由人である夫は、55歳で早期退職した。長年続けた職業安定所の所長の職に、簡単に見切りをつけたのだ。

「58歳までいられるのに、習い物とか、やりたいことがあるって言うの。『僕は仕事を辞めて、お茶をやりたい』って言うのね」

たっぷり稼いでいた堀野さんは、「お好きにどうぞ」と答えた。堀野さんはとうに「この人に頼ってはダメだ」と振り切っていたのだ。

ただ一度、夫が退職後に、夫が留守のタイミングで元上司が家に訪ねてきたことがあった。夫が家にいると思い、顔を出したのだという。上司は堀野さんにこう語った。

「旦那さんには、本当に感謝してます。彼は事務作業の改革をしたんです。この事務は要らないなどと、いいものだけを残して整理していただき、役所に貢献してくださいました」

仕事人としては優秀だったことを、堀野さんはその言葉で初めて知った。