毎日病院へ足を運んだ2年間
夫が病に倒れたのは、80歳を過ぎた頃だ。東京に住む息子が、福島市内の病院ではなく、東大病院での治療を勧めた。
「息子が、『このままだと、お父さんが死んでしまうから、東大病院に連れていく』って。それで、そのまま入院したの。それからは私も息子が住んでいる中野区にしばらくの間移って、東大病院まで、毎日見舞いに通ったね」
バスに乗って中野駅まで出て、中央線に乗ってお茶の水駅で降りて、聖橋から東大病院のシャトルバスに乗って――。83歳の堀野さんが毎日その行き来をするのは体力的に簡単なことではなかった。
「うちの息子は『土日くらい、休んだら』って言うんだけど、行かないとダメなの。私が見舞いを休んだら、大変。寂しがって『福島に帰る!』って騒いじゃう。本当に、ボンボンなんだから。少しでも行くのが遅いと、催促の電話をしてくるの。あれ、買ってきて、これ、買ってきてって言われて、売店で買っていって」
この間、お客には事業所の電話番号を伝え、滞りなく商品を手にすることができるよう、遠隔で営業活動を行っていた。
2006年に、夫は82歳で亡くなった。
一人暮らしは全然寂しくない
ひとり暮らしになって寂しくないですかと尋ねると、「ううん、肩の荷が下りた感じ」と、堀野さんは確認するように言った。
慣れない東京で毎日、病院までの往復をこなした、83歳の堀野さん。「本当にボンボンだったんだから!」と改めて、亡き夫のことを話す堀野さんの顔には、ふっと幸せそうな笑顔が浮かぶ。
「ポーラで男性用の紬を売った時、私はその紬をうちの人に買ってやったんだよ。高いのを。あの頃は化粧品がたくさん売れて、収入がいっぱいあったから。それが、あの人ったら一回も着ないでよ」
一人になって、寂しいとは思わない。言う人がいないから、今は毎日ズボンを履く。
「うちの主人は、何から何まで私にやってもらった人。だから、一人暮らしは気楽ですごくいいね」
夫の世話をとことんやり切った堀野さんは今、83歳から始まった一人暮らしを好きなように楽しんでいる。