「遠山さんの顔も見たくない」

中溝康隆『起死回生 逆転プロ野球人生』(新潮新書)

巨人の松井秀喜に対して無類の強さを発揮し、“ゴジラキラー”を襲名したのもこの頃だ。当時NPB最強スラッガーだった背番号55に対して、前打者を敬遠してまで松井勝負にこだわり、三振に斬って取る徹底ぶり。カムバック賞に輝く99年は、執拗しつような内角シュート攻めで13打数無安打と完璧に抑え、ゴジラ松井に「遠山さんの顔も見たくない」と言わしめた。

2000年には初のオールスターにも出場。結局、99年から01年まで3シーズン連続の最下位に終わった野村政権だったが、その3年間すべてで50試合以上に投げまくったのが背番号52だった。

サウスポーは二度死ぬ――。

一度目はプロ10年目の野手転向で。二度目は30歳の戦力外通告で。いわば、「虎の野村再生工場」の最高傑作が、地獄から生還した遠山奬志だったのである。

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