人には人それぞれの愛の形がある

私はあなたがいればそれでいいのに。あなたを見ているだけで十分なのに。お互いあまりにも愛しすぎて、ときどき過ちを犯したり、軽率なことをして互いを傷つけ、それを癒やす時間ですらときにはもったいなくて、あなたと私の間にほかの人が割って入ってくるのを想像することですら嫌なのに。

私は両親があなたを評価するのが嫌で、あなたの両親の前で嫁として合格点をもらえなければどうしようとおろおろしたくないのに。私はあなたを面接の場に送り込みたくはないし、あなたも私をそんな場所に行かせはしないだろうと信じていたのに、あなたは今、代理面接を受けてきて私にそれを褒めてくれと言ってるんだよ。

結婚する当人がそのすべてを甘んじて受け入れ、何もかも一緒に乗り越えていこうというのが別の形の愛だということも、そして、その過程で生まれる戦友愛もそれなりに価値があるという話もした。さらには、その過程を共にしなかったからといって愛が足りないのではないことも私たちは十分に話し合った。

彼が元カノとまったく似ていない私を愛するように、私たちには私たちなりの愛の形があるはずだと。私はそれに共感する彼と私たちなりの戦友愛を持って愛を育てていた。だから特別だし、私はKを愛していたし、私とKが作った愛を愛してもいた。なのに、それは私の一人相撲だったのだと思うと、心が折れた。

私に妻の肩書きがなければ幸せになれなかったのか

もちろん、Kとのことがあったおかげで私はその次につき合った人にこのエピソードを話し、同じことが起きるリスクを減らすことができた。元カレのことを今の彼との間に持ち込むのはよくないけれど、私はそれだけ強い意志を持った非婚主義者だから、同じ考えでないなら貴重なあなたの時間を無駄にしないでと心から望んでいることをアピールするのにとても役立った。

それを理解してくれる人と固い関係を結べたのだから、そういう意味において私の人生の一部だったKに対してありがたい気持ちもある。

Kは結婚しただろうか。Kが望む愛の完成形として結婚がうまく作用していたらいいなと心から思う。私は、結婚のためにKを愛するなんてとてもできなかったけれど、Kが自分と似た形の愛を求める人と出会って幸せになってくれたらと心から願っている。Kはいい人だったから。

クァク・ミンジ著、清水知佐子訳『私の「結婚」について勝手に語らないでください。』(亜紀書房)

私たちはほかの人を愛したわけではなかったけれど、ほかの愛を愛したために自然に別れた。今もぼんやりと気になるのは、愛の終着点を結婚だと考えている彼が、私と結婚できなかったのは十分に愛されていなかったからだと思うのではないかということだ。

違う。だとしたら心外だ。

私は愛しているから結婚してあげられなかったのだから。あなたがもっと私のことを愛していたら、一緒に非婚してくれただろうかと思うと私も寂しい。恋人である私はなぜ十分にあなたを幸せにしてあげられなかったのだろう。妻の肩書きがなければあなたを幸せにしてあげられなかったということが、私も悲しい。

恋愛は同じ愛を愛する人としなければと思う。

結婚までは愛せないよ、あなたを愛したのだから。

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