「浮かれた気分の歌なのだ」

頼通だけは27歳と若いが、あとの4人は一条朝から30年来の公卿仲間である。長徳元(995)年、道長の長兄・道隆と次兄・道兼が亡くなり、翌二年、中関白家の伊周が失脚した時、道長、顕光、公季の3人は政界第1位、2位、3位の座に躍り出て、その順位はずっと変わらなかった。また、その間、政界の〈ご意見番〉として一目置かれてきたのが実資だった。そこに頼通が加わり、道長は表向き身を引いて「太閤たいこう」となったが、かげに控えている。そんな五人の間を盃がめぐった。

しばらくして、道長は再び実資を呼ぶと言った。

「和歌を読まんと欲す。必ず和すべし」てへり。答へて云はく、「何ぞ和し奉らざるや」。又云はく、「誇りたる歌になむ有る。ただ宿構しゅくこうに非ず」てへり。
(「和歌を詠もうと思う。必ず返歌せよ」。私は答えた。「どうして返歌しないことがありましょう」。すると、太閤はまた言われた。「浮かれた気分の歌なのだ。ただし、あらかじめ用意したものではない」)
(『小右記』寛仁二年十月十六日)

そうして道長が詠んだのが、今や教科書でおなじみのあの和歌だった。だがその意味は、長らく理解されてきたものとは違う。

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和歌の「望月」はどういう意味か

の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば
(今夜のこの世を、私は最高の時だと思う。空の月は欠けているが、私の望月は欠けていることもないと思うと)
(同前)

「この世をば我が世とぞ思ふ」は、「この世は私のものだ」の意味ではない。道長は『拾遺和歌集しゅういわかしゅう』以下の勅撰ちょくせん和歌集に自詠が四十三首も採られている歌人である。どんなに酔っていても、和歌でそうした乱暴な言葉遣いはしない。

定石じょうせき通り「世」は「夜」を掛けたものだし、「我が世」は「我が世の春」のような人生最高の時を言うと解釈するのが正しい。道長が「浮かれた歌」と照れていたのは、このことである。では、「望月」以下はどういう意味か。

この日は十六日で、空の月は欠けていた。歴史学者の佐々木恵介ささきけいすけ氏によれば、天文学的には限りなく満月に近かったらしいが、和歌はそれには頓着しない。むしろ、「月は欠けたが欠けていない」と謎々のような機知を詠むことこそが、和歌の真骨頂なのである。つまり、道長の詠んだ〈欠けない望月〉とは、天体の月ではない。