SNSでの告発は「最後の手段」でありたい
近年、性被害やハラスメント行為に対する告発がSNSでなされることも増えている。それによって社会が動くこともある一方で、告発者が激しいバッシングを受けることも多い。
これまで声を上げられなかった人が声を上げる場を持てたこと、その声が社会を動かす影響力を持ちうることになったことは、SNSの大きなメリットであることは事実だ。
しかし、SNSは「諸刃の剣」であり、その影響力によって、自分や他人を傷つけることになってしまうことが多々ある。
本来であれば、大半の問題は当事者間の問題として対処し、不特定多数の第三者が介入しないほうが望ましい。その意味で言えば、SNSで公表する前に、別の対処法を講じるべきであるし、関係する組織や人もそのために尽力すべきだ。
善意の第三者の声が事態を悪化させる
「セクシー田中さん」の問題でも、当初はそれが模索されていたに違いない。芦原さん、あるいは脚本家が、SNSで心情を吐露せざるを得ない状況になってしまった時点で、問題の対処法に不備があったと見なさざるを得ない。
関係各所のコミュニケーションを密にして、合意を得た上で契約を交わし、それに基づいて忠実にそれぞれの仕事を貫徹する。紛争が起きたら、都度話し合いを行って解決策を模索する。
基本的なことではあるが、決して簡単ではない。
日本の漫画は、いまや少年少女や一部の“オタク”のものではなく、世界に誇るコンテンツとして成長しており、多方面に展開される“ビジネス”として成立している。過去の紛争事例も鑑みると、改めてしっかりとしたルール策定をすべき時期に来ているように見える。
(筆者自身も含めてだが)一読者、一視聴者として作品を楽しんでいる人、SNSで日々思いを投稿している人も、芦原さんの最後のメッセージの裏にどんな思いがあったのか、わからないながらも想像を巡らせてみる必要があるように思えてならない。