当事者のSNS投稿が意図せぬ批判へと発展した

筆者が最初に「これはマズいのではないか?」と思ったのは、芦原さんがSNSへ経緯説明を投稿し、「原作クラッシャー」のワードがトレンド化していた時だ。SNS上では、脚本家への激しいバッシングが起き、脚本家の過去作品まで持ち出して「改悪」が糾弾されていた。これは批判の論点としては完全にズレている。

脚本家と原作者の両者がSNSに投稿したことから、多くのSNSユーザーは両者間の紛争が起きていると解釈し、その多くは原作者側に味方をしたのだと思われる。

しかし、投稿文を良く読めば、双方の投稿ともに、個人批判をする意図はなかったことが理解できる。また、ドラマ終了に至るまで、芦原さんと脚本家は直接対面することはなく、番組プロデューサーを通してやり取りを行っていたということが明らかになっている。

当事者のSNSへの投稿が、意図しなかった批判へと発展してしまったことが、悲劇の一因となっているように、筆者には思えてならないのだ。

青い背景に大量の吹き出し
写真=iStock.com/HowLettery
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「セクシー田中さん」問題の2つの教訓

筆者は、過去に企業の公式アカウントや、企業の社員が個人アカウントでSNSを投稿する際の運営マニュアルやガイドラインの作成を支援していたことがある。

多くのケースでは、社員の個人SNSアカウントにおいても、仕事のことを投稿する際は細心の注意を図るべきであること、特にネガティブな情報は投稿を控えるべきであることを勧めていた。仕事関連のSNSへの投稿自体を禁止している企業もある。

企業関連でのSNS利用はルールやガイドラインの策定、社員への周知徹底も進んできている。しかしながら、経営者やフリーランス方の投稿が炎上することは依然としていくつも見られるし、最近は特に芸能・エンターテインメント業界での投稿が問題になることが多い。そこには、現代ならではの問題が含まれている。

今回の件に限って述べれば、当事者に限らず、全ての人が自覚しておくべき教訓は大きく以下の2つとなる。

① 仕事上の問題をSNSに投稿することは、自分も含めて誰も得をしない
②「犯人さがし」「悪者さがし」は問題を解決しないどころか、さらに悪化させてしまう