「最も幸せ」な参加者たちは思い悩まなかった

私と学生たちは、この現象について研究室で実験してみようと決めました。じつをいうと、実験の参加者のなかには、嫌な経験や自分のネガティブな面についてばかりウジウジと考えがちで、そのせいで集中できなくなり、結局、読んだり、書いたりという努力を要する日々の活動に支障をきたす人もいました。驚くことではありませんが、このような行動パターンを示す参加者こそ「最も不幸せ」だ、と報告された人たちということがわかりました。それと対照的に、「最も幸せ」な参加者たちは思い悩むことがありませんでした。

もし、あなたが「道路にあるすべての小石が気になってしまうようなタイプ」で、いつまでもくよくよ考えているなら、そのままにしておくといずれ大きなダメージとなって返ってくるでしょう。そうならないためには、幸せな人の態度や行動を真似し、いち早く「考えすぎ」から自由にならなければなりません。

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人と比較することで得られるもの

毎日の生活で、私たちは気づかないうちに、友人や同僚、家族、そして映画に登場する架空の人物まで、さまざまな対象と自分を比較しています。自分より彼らのほうが、陽気で、裕福で、健康的で、機知に富んでいて、魅力的かどうかを気にせずにはいられません。「今日はどんな日だった?」と尋ねるたびに、雑誌をパラパラとめくるたびに、他人との関係についておしゃべりするたびに、私たちは「社会的比較(人と比較すること)」をしているのです。

研究結果によれば、そのような比較は有益でもあるとされています。なぜなら、目標のために努力しようとか、弱点を克服しようとする意欲をかきたててくれるからです。「ピアノの天才」といわれる人が美しいソナタを演奏するのを目の当たりにすれば、ピアノを弾いているアマチュアはもっと頑張ろうという気になるでしょう。

人との比較で害になること

これとは逆に、「社会的比較」のおかげで、自分の窮状のほうがもっとましだと思える場合もあります。しかし、たいてい「自分以外のほかの人がどんなことをしているか」とか、「どんな物をもっているか」を観察することは害になります。

たとえば、「彼のほうが高い給料をもらっている」「彼女のほうがやせているわ」というような「上向きの比較」は、劣等感や苦悩、自尊心の喪失へつながることが多いのです。その一方で「彼は解雇された」「彼女はガンが転移した」などのように「下向きの比較」は、罪悪感や他人のねたみ、反感に耐えなければならず、同様の(同じくらい悪い)運命に見舞われるという恐れにつながるかもしれません。