盗品を受け取っていたのは若き日のピカソだった
それから2カ月後、報奨金目当ての何者かが、ルーヴル美術館から何度も作品を盗み出し、“友人“に売ったと地元紙を訪ねてきた。その“友人”というのが、詩人で作家のギヨーム・アポリネールと、パブロ・ピカソというスペイン人画家だと警察が気づくのにそう時間はかからなかった。
そう、そのピカソこそ、間もなく世界的に有名なキュビズムの画家となる人物だった。噂が広まると、2人は盗まれた美術品を処分しなければならないと悟った。2人はすべてをケースに詰め、夜陰にまぎれて川に投げ込もうとしたが、その瞬間、投げ込む気が失せた。
代わりにアポリネールは地元新聞社に作品を返却し、匿名を求めた。数日後、警察は彼を拘束し、ピカソにも出頭するよう命じた。2人は怯え、豹変したピカソはギヨームとは面識がないとまで言い出した。
運のいいことに、彼らが返却した作品はルネサンス絵画ではなく、紀元前3~4世紀に製作されたイベリア彫刻だった。実はこれらの作品は、ピカソの有名な絵画『アビニョンの娘たち』のインスピレーションの源だったのだ。(※2)絵画の窃盗とは何の関係もないため、事件は却下され、2人は釈放された。※3
評論家すら目もくれない作品がなぜ「史上最高の絵画」に?
この絵が再び姿を現したのは、1913年12月のことだった。ルーヴル美術館に勤めていたガラス職人のヴィンチェンツォ・ペルッジャは、この絵を売るためにフィレンツェ行きの列車に乗り、有名な画商に会いに行った。
しかし、作品が確認されると、画商は警察に通報し、ヴィンチェンツォは逮捕された。有罪を認めた後、彼はわずか8カ月間服役した。その間、世間は絵画の返還を喜んだ。絵はフィレンツェ、ミラノ、ローマを短期間巡業した後、ルーヴル美術館に戻された。
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたこの女性の肖像画がサロン・カレに再び飾られた時、10万人以上の人々がこれを見に来た。防弾ガラス、警備員、お金で買える最高のセキュリティシステムで守られていた。ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』は現在、年間800万人以上の来館者を集めている※4。
では、1507年に描かれ、1860年までルネサンス絵画の貴重な表現として美術評論家にすら認識されていなかったこの絵画が、事件以前まではほとんど誰も関心を持たなかったにもかかわらず、多くの人に史上最高の絵画と評価されるまでになったのはなぜだろうか。そして、それが私たちがどのようにつながり、どのように付き合うかにどう関係することになるのだろうか。※5