「硬くて、臭い」というトラウマ

羊毛のみならず羊肉をも消費させることで、農家の収入増加と早期の飼育頭数の倍増を画策したのだ。

とくに食料に飢え、貧しかった農村部で羊肉は貴重なタンパク源として重宝された。

しかし、文明開化を契機に日本人が牛や豚などの食肉文化に触れてからわずか数十年。当時の人々にとって、食用ではない老廃羊の放つ特有の臭いと噛んでも噛みきれない硬い肉質は、受け入れ難いものだったに違いない。

戦争を知る世代のマトン(生後1年以上の羊肉)に対する「硬くて、臭い」というトラウマは、こうした戦中、戦後の記憶に由来する。

満洲の料理にヒントを得た「成吉思汗(ジンギスカン)」

そんなトラウマを克服しようと、誰ともなく羊肉をニンニクや唐辛子の入った醤油ベースのタレに漬け込んで焼いて食べる知恵が生み出される。

「中国東北部に展開していた帝国陸軍(関東軍)が雇った中国人コックが日本に伝えた」
「現地に駐在していた日本人が、中国ではポピュラーな醤油ダレに漬け込んだ羊の焼肉・烤羊肉のレシピを教わり日本で普及した」

など、その食べ方のルーツには諸説あるが、いずれも大陸の羊料理にヒントを得たのは間違いないようだ。

時を同じくして、その食べ方が「成吉思汗(ジンギスカン)」と呼ばれるようになる。

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満洲の料理にヒントを得た「成吉思汗(ジンギスカン)」(※写真はイメージです)

こうした緬羊をめぐる歴史の中で、主に東日本の各地に、羊肉を食べる文化が、まるで飛び石のように残る。

そして、その多くが林業、炭鉱、ダム建設など、山で働く労働者の貴重なタンパク源だった。これが寄せ場飯としてのジンギスカンの歴史だ。