衰える義祖母と脳梗塞の義母

七瀬さんが義実家に戻った頃、義祖母は80代。長い間、家の中のことはすべてやっていた義祖母だったが、さすがに以前のようには動けなくなってきており、料理以外はやらなくなっていた。一方、家事下手の義母は洗濯くらいしかできなかったため、七瀬さんは、夜勤もある看護師の仕事を続けながら、料理以外の家事を担った。

「義祖母は貯金が苦手だったようですが、それでも自分のお金は孫たちのために使ってくれるような人でした。義祖父が亡くなり、義祖母から義母に家の財布が渡ったときに、義母から執拗しつように『貯金が少ない』と責められていました。義母は些細なことで義祖母に文句を言い、義祖母は黙って聞いていました」

同居から3年ほど経ったある日。「義父と農作業をしていた義母の呂律が突然回らなくなった!」と、義祖母から仕事中の七瀬さんに連絡が入った。取り急ぎ義父が病院へ連れて行き、すぐに入院が決まる。

医師から脳梗塞と診断され、「1晩家族の付き添いが必要」と言われたが、義祖母では難しく、義父は「俺はできない」と拒否。夫も七瀬さん(看護師)も仕事中だ。結局、「素人がやるよりいいだろう」という義父の鶴の一声で七瀬さんが付き添うことになり、仕事の後、七瀬さんはしぶしぶ義母の病院へ向かった。

義母は点滴治療のため1カ月ほど入院。その後、リハビリのために通院をしたが、そのときは義父が付き添った。

「義母はリハビリに通っていてもなぜかADL(日常生活動作)が落ちてきていて、後遺症なのか、滑舌が悪くなりました」

義母は、大好きだった農作業が以前のようにはできなくなった。唯一できる家事だった洗濯も、調子がいいときは椅子に座りながら干すことができたが、調子が悪いと洗濯機のボタンを押すくらいしかできなくなってしまった。

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特別養子縁組

夫は45歳で金融系の会社を辞め、義実家で代々受け継いできた農業に専念し始めた。

長女は23歳で結婚し、家を出た。次男は関東の大学に進学し、一人暮らしを始めた。

子どもたちが巣立ち始めた頃、七瀬さんは特別養子縁組に興味津々だった。

「なぜ実子がいて……とよく言われますが、子どもたちが乳児や幼児の頃に、義祖父母がひ孫かわいさに子どもたちを自分たちの部屋へ連れていったため、私は自分で子育てをしたという記憶がほとんどありません。なので特別養子縁組という制度があると知った時、もう一度イチから自分1人で子育てをしてみたいと思いました」

相談すると、夫も子どもたちも賛成したが、義祖母や義両親は猛反対だった。決意が固かった七瀬さんは、「誰に何と言われようと私の好きにします。嫌ならこの家から出ていきます」と毅然きぜんとして言い放ち、3人を黙らせた。

生後間もない男の子を迎えると、義祖母も義父もかわいがってくれたが、子ども嫌いの義母だけは無関心だった。

「子育てと家事と仕事の両立は大変でしたが、生きる希望ができ、とにかくかわいくてかわいくて、全く苦ではありませんでした。血の繋がりは関係なく、最高に一番かわいかったです」

ところが、その大変さは想像以上に増していった。