いつ「幕府」ができたのか

加えていうなら、家康が将軍に就任後、幕府と呼べるような政治組織がつくられた形跡はまったくない。たとえば法令にしても、将軍就任から8年後の慶長16年(1611)3月28日に、二条城で行われた家康と秀頼の会見、すなわち秀頼に事実上の臣下の礼をとらせた会見ののちに出された三カ条誓詞まで、なにひとつ出されなかった。

笠谷和比古氏は「われわれは幕府が開かれたというと、何か巨大な官庁組織、全国を支配する統治機構が形成されたように感じてしまう。しかしそれは錯覚であり」と記す(笠谷和比古編『徳川家康 その政治と文化・芸能』所収 笠谷和比古「徳川家康の政治と文化」宮帯出版社)。

一般に想像されるような統治機構を幕府と呼ぶなら、それが確立するのは元禄時代(1688~1704)を待たなければならないのである。

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