日本企業は「組織能力の抽象化・論理モデル化」が苦手
その理由は、①抽象化・論理モデル化のメリットが認識されなかったことと、たとえこれらのメリットを認識したとしても、②抽象化・論理モデル化する組織能力が相対的に低かったということが挙げられるだろう。
ここで、①のコンセプト化のメリットは、本書を読んだ方にはもう伝わっているだろう。そのため次に考えるべきは、②の抽象化・論理モデル化の組織能力である。
ただし、ここでの「能力」とは「個人の能力」ではなく「組織能力」である点が重要だ。個々人の抽象化・論理モデル化の能力だけでいえば、日本人の能力は世界的に見ても低くはないだろう。数学や物理学の分野で日本人が活躍できていることや、高等学校での数学教育が世界最高レベルであることからも、それは傍証される。
これに対して組織能力というのは、個人の集合である組織のつながり方や仕事のやり方のルーティンといった、組織に蓄積されている能力のことを指す。この組織能力の中に、抽象化・論理モデル化の力を決定するものがあるのである。
論理モデルがなくても、阿吽の呼吸で説明できる
たとえば、組織内で抽象的なモデルを使った議論を重視する人事評価がおこなわれているか、会議の際に論理モデルにもとづいた説明が求められるか、先輩から後輩へ抽象化・論理モデル化のノウハウが口頭または文書で伝授されているか、といったことにより、このタイプの組織能力の強弱は影響を受ける。
また、そもそも抽象的な議論をする機会がどの程度あるかによって、論理モデルを使った抽象的な議論への「慣れ」も変わってくるだろう。
その点、日本語という、世界的にみると相当に特殊な言語を用いる集団内において、しかも民族的にも多様性に乏しく、日本的経営にみられる濃密な人間関係にもとづいたチームワーク重視の経営をおこなってきた日本企業は、論理モデルを使って他者を説得する必要性や機会に乏しかった。論理モデルを用いなくとも、文脈に依存した議論、いわゆる阿吽の呼吸や根回しによって、協働が十分可能であったためだ。
すなわち、日本企業の強みでもあったチームワークが、コンセプト化、抽象化、論理モデル化の能力構築に制限を加えていたと考えられる。