日本人が好む「動物愛護」という言葉の問題点
動物福祉は、動物が本来生きやすくなるための環境整備であり、動物主体。動物愛護は、人間側の意思や個人の意志でなされるものであり、人間主体。と定義されている。
動物愛護では「人間による動物の利用を否定」しているのに対し、動物福祉は、「動物を利用することを否定してはいないが、その際には動物の感受性を考慮し、心身ともに健康的な生活を送ることができる飼育環境をめざす」という考え方が前提にある。
「動物福祉は科学の1つでその判断には根拠が必要です。どれくらいの痛みなのか、苦しみなのかを客観的に判断する必要があります。たとえ末期がんの動物でも、痛みのコントロールができていれば、飼い主さんには痛がって鳴いているように見えても痛がっているのではなく動けないから動きたいと訴えているだけということもあります。
日本の多くの動物をめぐる問題では感情的な議論で終始してしまい、人と動物の違いや人が動物を飼育する意義を考え、理解しようとする努力が不足していると思います。あくまで人間が感じるかわいそうという感情に基づくのではなく、動物のことを真に理解し、動物主体での議論を行いながら、動物の命や人と動物が共に生きることについて考える必要があります」
日本では、動物愛護という概念さえも新しい。たとえば、ほんの数十年前までは、犬と言えば番犬で、猫はネズミを捉えるために飼われるものだった。殺処分が問題にされるようになったのも、この10年ぐらいことだ。動物愛護から動物福祉への進化には、日本人が感情的にならずにディスカッションできるようになる必要がある。
愛犬を腕の中で看取ることはできたけど…
冒頭のエピソードの続き。
犬友のクチコミで見つけた別の動物病院でセカンドオピニオンを受けた結果、女性の愛犬はがんではなかった。詳しい病名はわからないままだ。血液検査と新型のエコー検査を受けた時には症状が消失していたからだ(血液検査の結果、高脂血症気味だった)。
ただ、その半年後、実は糖尿病であることが分かった。全身に広がった火傷状の感染症、体重半減、一日2回のインスリン注射、一回30分以上を要する食事の介助、白内障による失明、不眠、一日おきの通院、心不全を経て亡くなるまでの10カ月の闘病生活は壮絶だったが、最後は腕の中で看取ることができた。
10カ月間の医療費は60万円を超えた。