年をとると賞賛を求める理由
私は最近、年を取ると、批判や悪口に耐えられなくなるということがわかってきました。とにかく悪く言われたくないのです。
私は、世の中は嫉妬で動いていると考えているので、批判や悪口も嫉妬の感情が大半を占めており、必ずしも正しいとはいえないと思っています。
しかし、批判や悪口にも、三分の理があるのは事実です。つまり、痛いところは衝いているのです。
そこで、若い時は、批判されないように必死に努力します。
しかし、年を取ると、昔なら無視できたようなちょっとした批判に対しても、「自分はやはりダメなのではないか」と弱気になってしまうのです。
批判に耐えられなくなることの逆作用として、とにかく賞賛を求めるようになります。
ところが、そうなると今度は、少しでも認められなかったり、無視されたりするだけで、「お前はもうおしまいだよ」と言われている気がしてくるのです。
何もしないことも自己を磨く修行
人生100歳時代になると、いつまでも社会に貢献をしたいと、多くの人が思うようになります。そして、ある程度は認められたいと願います。
しかし、それは「自分では若いつもりでいても、今の社会に受け入れられないのではないか」という不安と表裏一体なのです。
だから批判に非常に敏感になりますし、「認められたい」と強く思うのです。
ある人が、忘れられたくないために何かをせずにいられないことに苦しみ、静岡県三島の龍沢寺の中川宋淵老師に相談したそうです。
老師は黙って聞いていましたが、「何もしなければ本当に誰も相手にしなくなるか、試されたらどうですか」と言われたということです。
仏教では、何もしないことも自己を磨く修行とされます。そういう「無為の修行」で徳を積んだらどうか、それだけの報いはある、と老師は諭されたのだと思います。
誰もが、いずれ死んで忘れられるのです。生きているうちに少しずつ忘れられるのは苦しいものですが、自分で解決するしか方法はないのです。
批判が嫌なら、賞賛を求めないことだ。
「ホメラレモセズ苦ニモサレズ/ソウイウモノニ私ハナリタイ」と宮沢賢治が詠った境地は、年配者にこそ当てはまるのです。