意見は言わず、ひたすら人の発言をメモしていたら…

すべては、議論が活性化するためです。席順を変えただけで議論の質ががらりと変わるのです。

会議が始まったら、各々の発言はもちろん、相手の身振り手振りやテンションまでもできるだけ正確にノートに取ります。何ページか進んだら、最初のページに戻って議論の始まりを見直します。

最初は、自分の意見を言いたくてウズウズしていたのですが、怒られるので考えないようにしました。「自分の意見は考えなくていい」わけですから、人の発言をメモすることに徹すればいい。驚くほど集中できます。

鈴木さんはたまに、ぼくのノートをのぞきます。そして、前の会話を思い出してまた議論に戻る。「さっきの、なんだっけ?」と問われれば、ノートを見せながら、すぐに答えることができます。

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そんなことを何百回と繰り返しているうちに、自分がその場にいるだれよりも、議論の全体像を把握できていることに気づきました。

鳥肌が立ちました。

自分の意見ばかり考えていたときは、相手の意見に対しては「違う」としか思わない。若者の意見はスルーされがちなので、ますますムキになり、その場の空気を支配している人に相づちを打っていました。この相づちは「同意」ではなく、自分の存在をまわりにアピールしたいがためだけの相づちなので、議論においてはなんの意味もありません。

「だれが言ったとか、どうでもいいじゃん」

では「君の意見は?」と問われたときはどうすればよいのか。これは簡単です。

それまで話されてきた議論のなかで、自分が「今回の議論に必要」と思った意見(赤丸で囲んだり、☆マークをつけたりしていました)を引き合いに、「○○さんがこうおっしゃいましたが、ぼくもその意見に近くて……」と切り出せばいいのです。

実は、鈴木さん自身がそうでした。

じっと相手の意見に耳を傾け、何がいちばん大切かを探している。ある程度方向性が見えたら、自分自身のアイデアと関連づけて話し始める。

しばらくして、気づきました。「おれの真似をしろ」と言った鈴木さんこそ、相手の意見を自分の意見として取り込む「真似の名人」だ、ということに。

鈴木さんは、ゼロから1を発想するタイプのアイデアマンではありません。みんなの意見やアイデアを総合的に判断し、もっとも優れたもの、その場に必要なものを、順列に組み立てます。

当初は、そこに反発していました。

「自分の意見」「オリジナリティーあふれるアイデア」を生み出すことがクリエイティブだと思い込んでいたぼくは、自分の意見を横取りされたかのような感覚になったのです。

鈴木さんは、ぼくが不満そうな顔をしていると、こう言いました。

「だれが言ったとか、どうでもいいじゃん」