占いは参考にはするが、最終的には自分の頭で考える

◆松下幸之助――占いを気にせず、冷静に判断するカリスマ経営者

著書によると、幼少期の名前は「幸吉」で、戦後に占い師の進言に従って「幸之助」に改名したといわれています。

幸之助という名前は、「小売人向きで大器晩成の画数」なのだそうです。

最も有名なのは、1933年(昭和8年)に当時の松下電器が大阪・大開町から門真村(現・門真市)に本店と工場群を移転した際のエピソードです。

門真村は大開町から見て北東の方角にあるため、「鬼門」にあたります。

ある占い師から、「わざわざ方位の悪いところへ行くなんて、やめたほうがよろしいで」と忠告され、周囲からも懸念の声があがったといいます。

幸之助自身も相当に迷ったようですが、最終的にはこんな決断を下しました。

「北東が鬼門というなら、南西から北東へ長く伸びる日本は、どこへ行っても鬼門ばかりやないか。気にせんとこ!」

その後、松下電器はこの地を拠点に世界的企業となり、門真は有数の商工業地帯となっています。

占いは参考にはするが、最終的には自分の頭で考える……というカリスマ経営者の冷静な姿勢が、パナソニック躍進の一因なのかもしれません。

オフィスの設計に風水を取り入れている世界的な巨大企業

◆ビル・ゲイツ――無意識に「インド風水」を実践していた成功者

マイクロソフトの共同設立者で、世界長者番付の常連でもあるビル・ゲイツは、インド風水の「ヴァーストゥ」の信奉者といわれています。

ビル・ゲイツが、インド風水と出会ったのは、1983年に最初の自社ビルをワシントン州ベルビューに建てたことがきっかけです。

当時のマイクロソフトは社員200人程度の中小企業ですが、1975年の創業から徐々に業績を拡大しており、ようやくビル・ゲイツの故郷に本社を移転できるような状況になった……というタイミングだったようです。

この本社ビルは設計者がインド風水に基づいてデザインしたものですが、社員はもちろん、当時28歳のビル・ゲイツ本人もそれを知らなかったそうです。

設計者が説明することはなく、説明を求められることもなかったため、その事実を知ったのは建物が出来上がった後だったようです。

新たに完成した本社ビルは、風水学的に見ると「これ以上ない」というほど見事な設計だったといわれますが、ここに拠点を移した途端に同社の快進撃が始まります。

1983年10月に発売した「Microsoft Word」の大ヒットを皮切りに、1986年には念願の株式上場を果たし、1992年に「Windows 3.1」、1995年には「Windows 95」と「Internet Explorer」を世に送り出して、世界企業へと急成長していきました。

ビル・ゲイツとマイクロソフトの社員は、無意識のうちにインド風水を実践していたわけです。

これを期にインド風水の信奉者となったビル・ゲイツは、ワシントン州メディナにあるワシントン湖を見下ろす自宅や、世界各地に所有する別荘を建てる際にも、必ず風水の考え方を取り入れているそうです。

建物の玄関からプラスのエネルギーが流れ込むように位置関係を調整したり、外部からのマイナスのエネルギーを遮断するために建物の前に大きな樹木を植えるなど、さまざまな工夫が施されています。

早矢『世界のビジネスエリートが身につける教養としての占い』(クロスメディア・パブリッシング)

ビル・ゲイツの自宅は周囲の環境と調和するように自然素材を使って作られ、水中に音楽が流れるプールや、バー付きの図書室などを完備した敷地面積が約140平方km、推定価格80億円の大豪邸です。

フランスのパリ市全体の広さが約100平方kmですから、いかに広大な敷地であるかがわかります。

社員数200人だったマイクロソフトは、現在では100を超える国々に7万人以上の社員を抱える超優良企業に成長しています。

マイクロソフトに限らず、「インテル」や「ナイキ」「フェデックス」といった世界的な巨大企業も、オフィスの設計に風水を取り入れているといわれています。

その発展の背景には、少なからず占いが関係しているのかもしれません。

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