職場の空気を読まないヤツを叩く心理

そう考えれば、祝祭日の多さも、「休み不足感」の少なさも腑に落ちよう。

ゴールデンウィークをはじめ、みんなが一斉に休んだり、月に1度ぐらいは有休を取ったりする。わざわざ上司が協力する必要もないし、罪悪感を覚える筋合いもない。

横並びであるし、仮に1日休んだぐらいでは飛び抜けることもない。「変人扱い」されはしない。

かたや長い休みを、それも、みんなとは別の時期に取ろうとすると、事態は一変する。

現代においてもなお「村社会」的な見えない圧力が働き、職場の空気を読まないヤツを叩く心理が作用する。

シルバーウィークを手放しで喜べない理由は、ここにある。

「ワーケーション」は村社会的な空気の産物

ここ数年、ワーク(仕事)とバケーション(休暇)を合わせた「ワーケーション」だけではなく、ラーニング(学習)とバケーション(休暇)を一緒に取り組む「ラーケーション」(*6)が取り入れられている。

愛知県内の児童生徒に配るラーケーションカード(出典=愛知県公式Webサイト「ネットあいち」より)

後者は、子どものいる世帯が、学期中でも、保護者側が休みを取れるように配慮したものだという。

これもまた「村社会」的な空気の産物だろう。

長期間ただ休んでいる、わけではない。きちんと仕事や勉強をしていますよ、というわけである。

もちろん、ワーケーションやラーケーションは休日を分散するためにも効果があると言われており、いまのように有給休暇、それも長い休みを自由に取りづらい状況を変えようとする点で意味はある。

しかし、現実的には多くの人が「盆と正月」ぐらいしか長くは休めず、それも、みんな一緒に休むしかない。

「盆と正月が一緒に来たよう」とは、とても忙しい様子を例えることわざになっているぐらいだから、一斉に休む習慣は江戸時代ぐらいから続いている、そう思われるかもしれない。