「キャラ」は自分自身を閉じ込める檻
【内田】前に「中高一貫教育は非常によくない」という議論をしましたね。12歳の時に設定したキャラクターを18歳までに変えられないからよくない、と。中高一貫の男子校出身の白井さんはあまり同意してくれなかったけれども(笑)。思春期には劇的に心身が変化します。読む本も聴く音楽も観る映画も変わる。性的指向も変わる。当然、それまでの友だちとは話が合わなくなる。でも、孤立は怖い。だから仲間にとどまろうとして無理しても同じキャラを演じ続ける。キャラを演じている限りは集団内部に居場所がある。でも、このキャラなるものは、自分自身を閉じ込める檻でしかないわけです。その檻の中にとどまるということは、自分の変化や成長を自分自身で妨害しているということになる。
日本社会は、学校に限らず、あらゆる組織が個人を檻の中に閉じ込める仕組みになっているように見えます。子どもたちが「有名になりたい」という欲求を持つ理由は単純ではないですけれども、有名になることによって、押し込められて、息ができなくなっている檻の中から解放される。そういう夢を託している面があるのではないかという気がします。
教室の電気をつけない大学生たち
【白井】なるほど、ずうっと自分が閉じ込められていたキャラクターから有名になって脱出すると。確かにいまの大学生を観察していても、ともかく窮屈そうです。たとえば、授業をしに教室に行くと、教室の電気がついていないんですよ。薄暗い部屋で、黙ったままボオッと席に座っている。まことに不気味な光景ですが、私は何度も遭遇していますし、多くの同業者が同じ証言をしています。どうやら、自分が率先して電気をつけるという行為によって周囲から突出したくないようなんです。そのような状態がいかに異常なものか、当人たちが気づいていない。この光景に遭遇する度に、私は説教をかますようにしていますが、それでもこの光景が減らないところを見ると、他の大学教員たちはこの状況を肯定してしまっているようです。
こうした精神状態で知的発展というものができるわけがない。ほとんど引きこもりのような精神状態です。
例外的にそうした状態と無縁の学生はいて、そのような学生に限って社会的関心は高く、勉強熱心でもあります。そして、私が見る限り、そうした学生は精神疾患の発生率が高くて、程度はいろいろですが、鬱病が多いです。調子のいい時はいいけれども駄目な時は駄目で、普通に見えても、実はずっと服薬しているといったケースをよく見聞きします。