ソ連崩壊後のロシアは「脅威」と思われていなかった
ロシアがウクライナへの全面侵攻を始めるずっと前から、カール大公にはこのように反露的な言動が目立っていた。その理由を推測するに、亡き父親の影響を強く受けているのだろう。
カール大公の父親というのは、最後のオーストリア皇帝カール1世の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルクだ(以下「オットー大公」)。彼は、ドイツの独裁者ヒトラーから独墺併合の障害として敵視された人物、そしてベルリンの壁崩壊の引き金となった「汎ヨーロッパ・ピクニック」の仕掛け人としても知られる。
1991年のソ連崩壊後、フランシス・フクヤマ氏が『歴史の終わり』を発表したことが象徴するようにポスト・モダン思想が興隆し、先進国では「国家同士の大規模な戦争はもはや過去のものになった」と広く信じられるようになった。
今からすれば想像もできないが、ロシアがNATOに加盟するという選択肢もしばしば話題になった。冷戦期さながらのロシア脅威論をなおも唱えようものなら「生きた化石」と嘲笑されかねない雰囲気の漂う時代が、確かにあったのだ。
欧州議会における保守派の大物として名をはせたオットー大公は、そんな時代にあって、今日の息子と同じようにロシアを危険視してはばからなかった。彼は早くからロシアを「我々の最大の脅威」などと表現し、2011年に死去するまで警戒を呼び掛け続けた。
オットー大公「プーチンこそが新たなヒトラーだ」
そんなオットー大公が昨今、「先見性」があったと欧州で再評価を受けている。彼は現ロシア大統領のプーチン氏のことを世界で最も早く危険視した人物の一人だったからだ。
2005年の「南ドイツ新聞」のインタビューによると、オットー大公はベルリンの壁崩壊直後の1990年、東ドイツ人民議会選挙の最中にドレスデン市を訪問した時に「特に悪いロシア人」としてウラジーミル・プーチンという名を聞いて以来、ずっと彼に興味を持ってきたそうだ。
数多くあるオットー大公のプーチン氏への言及の中から、代表的なものを少しだけ紹介しよう。スロヴェニアの「Portal Plus」編集長のデヤン・シュタインブーフ氏の回顧によると、大公は2000年、当時まだ大統領に就任したてだったプーチン氏についてこう語ったという。
「彼こそが新たなヒトラーです。信じられませんか? ヒトラーの時代を経験した老人を信じてください。私が絶対に会いたくない唯一の政治家です」
オットー大公はこのようにプーチン氏をヒトラー呼ばわりすることを全く厭わなかった。発言当時はしばしば迷言扱いされたが、ウクライナが侵略を受けるに至って評価が一転した。シュタインブーフ氏が開戦直後にこう自省したことは、まさにその象徴的な出来事である。
「私は正直、この老人は大袈裟だと思った。彼は20世紀、全体主義、巨大な犯罪的イデオロギーとの対決という重荷を背負いすぎている――そう私は自分に言い聞かせた。そして、間違っていたのは私のほうだった」