彼の成長を阻害していたのは私だった

「いったい、この偉そうな部下をどうやって育てていけばいいんだろう?」

ちょうどそんな悩みを抱えていた時に、私は妊娠をしてしまいました。当時は育休などという制度はなく、産前6週産後6週の休業しかありませんでしたが、たったそれだけ休むのにも、「私の居ない間、彼に仕事を任せなくてはならないのか」と心配で心配でたまりません。

私は一所懸命に仕事の引継ぎをし、ありったけのことを彼に教えて、もう泣きたい気持ちで休業に突入したのでした。

産前産後の休業が明けて職場復帰をした日、私は大変なショックを受けてしまいました。なんと、「春日君」が見違えるほどしっかりしていたのです。そんな彼の姿を見て、私ははたと気づきました。彼の成長を阻害していたのは、他ならぬ私だったのだと……。

当時の自分の心理を振り返ってみると、おそらく私は厳しい上司に自分のラインの仕事を評価してほしかったのだと思うのです。だからこそ、春日君を手取り足取り厳しく指導していたのです。ほしかったのは、部下の成長ではなく、あくまでも自分に対する上司の評価だったのです。

厳しく接していた部下が「お財布を握る役職」に

ひとり目の子どもが生まれてしばらく経ったとき、今度は、春日君とは正反対の小柄で気の弱い男性にいろいろと仕事をお願いすることになりました。彼はなかなか言われた通りのことができず、なぜできないのかをうまく説明してくれません。春日君とは別の意味でとても手がかかる部下でした。私は彼に対しても、とても厳しく接しました。

そうこうするうちに、私は島根県の労働基準監督署に、課長として転勤することになりました。そして、あろうことか、私が厳しく接してきた小柄で気の弱い部下が、一緒に島根に転勤することになったのです。

しまった! と思いました。なぜなら彼は「お財布を握る役職」として島根に赴任することになったからです。

「きっと意地悪をされるんだろうなー」

私はそう覚悟をして島根に向かいました。

ところが、私の予想に反して、むしろ彼は私をよく助けてくれたのです。彼はつくづく、善良な人だったのです。「部下に偉そうに接しても、いいことなんて何もない」と悟った次第ですが、この件にはちょっとした後日談があります。

私は島根に赴任した後、35歳で2人目の子どもを出産しましたが、生まれてきた子の性格が第一子とあまりにも違うのです。同じ親から生まれてきたとは思えないほど、ぜんぜんタイプの違う子なのです。

撮影=今村拓馬
対照的なふたりの部下を持った時期が、子育ての時期に重なっていた