「新丹那トンネル」は渇水もなくわずか3年で開通
渇水の主な原因は、熱海側にある滝知山(標高649m)周辺に広がる温泉と粘土の混じった温泉余土だった。
滝知山の西側に広がる丹那盆地は豊富な湧水で知られ、温泉余土が丹那盆地の地下水を遮る役割をしていた。熱海側からトンネルを掘りぬくことで温泉余土を取り除いて、丹那盆地の地下にあった巨大な貯水池に横穴を開けてしまい、大量の湧水がトンネル内部に流出してしまったのだ。
これが芦ノ湖3杯分もの大量湧水の原因だったが、当時は、温泉余土などの特殊な地質を解明できるほどの科学技術を持ち合わせていなかった。
丹那盆地の渇水を招いた最大の原因は科学技術の遅れである。
それから約30年後、東海道線と並行して走る東海道新幹線は、1964年10月の東京オリンピック開会に間に合わせるよう4年5カ月という短い工期で全線を開業させた。最大の難所とされた新丹那トンネルは、16年もかかった丹那トンネルの経験と、最新の地質調査、掘削技術をフル活用し、わずか3年で貫通した。
太平洋戦争を挟んで、戦後の急速な科学技術の発展が後押しした。
大規模な崩落や渇水の被害などはなかったが、トロッコなどの事故で21人が殉職した。
順調に開通した「新丹那トンネル」には一切言及せず
川勝知事は会見などで、リニア妨害を意図して、何度も丹那トンネルによる丹那盆地の大渇水を話題にしてきた。
2020年11月号の雑誌『中央公論』の論文「国策リニア中央新幹線にもの申す」で、川勝知事は「トンネルを掘れば、水が出ます。約100年前、東海道線の丹那トンネルの掘削で箱根芦ノ湖の約3倍分の水が失われ、水ワサビと水田の丹那盆地は干上がりました。その悲劇は静岡県民の記憶に刻まれています。一旦、失われた水は二度と戻ってきません」と述べている。
ところが、何らの渇水被害が見られなかった新幹線の新丹那トンネルについてはひと言の言及もなかった。