まんまと宣伝に乗せられた迂闊な反応

ナチ政権下では、笑顔で子どもと触れ合うヒトラーの姿は写真報道のお決まりのテーマとなっていた。なかでも1933年夏にオーバーザルツベルクの山荘の近くでヒトラーの目にとまり、たびたび山荘に招待されることになったベアニーレという名の金髪の少女との交流は、様々な媒体で紹介されて注目を集めた(先の投稿で挙げられていたのもこの少女と交流する写真である)。

実は交流が始まって数年後、少女の祖母がユダヤ人であることが判明し、ゲシュタポがこれを問題視するという事態も生じていたのだが、彼女と親しく交流するヒトラーの写真の宣伝効果が大きかったため、その後も写真の流通は止められず、山荘への招待も続けられたのだった。

こうした事情を踏まえると、ヒトラーと少女との関係にもっぱら「優しい心」を見出すのは短絡的で、まんまと宣伝に乗せられた迂闊な反応と言わざるを得ないのである。

ナチスの宣伝が作り上げた「子どもに優しいヒトラー」というイメージは、彼の絶大な人気の基盤をなすものだった。

ゲッベルスの子供とヒトラー(1933年8月)(写真=CC-BY-SA-3.0-DE/Wikimedia Commons

「ヒトラーにも優しい心がある」と思いたい

ヒトラーは他の政治家と違って民衆と同じ心をもつ誠実な人間で、それゆえ間違ったことをするはずがないと多くの人びとに信じられていた。ヒトラーは庶民的で情け深い指導者を演じ、宣伝を通じてそのイメージの普及につとめたが、民衆の側も自分たちと変わらない人間的な指導者をもとめ、その願望を総統の等身大の姿に投影した。

誰もがもつ親しみの感情を媒介にして、ヒトラーと民衆は情緒的に結び付いていたのである。人びとの共感と信頼をかき立てるこの親密なイメージが、ヒトラーの暴政を可能にした原因の一つだったことは明らかである。「ヒトラーにも優しい心がある」と思いたい、そういう心情こそがナチ体制にとって重要な政治的資源だったと言えよう。

ヒトラーも一人の人間で、角の生えた悪魔ではなかったというのはたしかにその通りだろう。だが仮にヒトラーに「優しい心」があったとしても、それはユダヤ人虐殺を命じた事実を否定する根拠にも、免責する理由にもなり得ない。

しかも彼の「優しい心」を知ったところで、ナチ体制の何か「新しい」側面が見えてくるわけでもない。もし見えてくるものがあるとすれば、そう信じたいという気持ちこそが、まさに当時(そしておそらくは現在でも)ヒトラーやナチスへの支持を調達する重要な手段だったということだろう。