バブル期に東京にきた『北の国から』純の就職とピン札
1984年のドラマ(『北の国から '84夏』)では小学生だった純だが、3年後の『北の国から 初恋』では、就職という話になる。純は、地元の高校に行くのではなく、東京での就職を選ぶ。やはり東京への思いが強かったのだ。当時の小・中学生は、純が高校に進学しなかったのだから、自分も、とは思わなかっただろう、それはそれ。
当時の高校進学率は、94.3パーセントだから。純の選択は、当時としても少数派である。
純の上京手段は、東京行きの運送トラックの助手席への相乗りだった。このぶっきらぼうなトラック運転手を演じていたのは古尾谷雅人。ドライバーは、東京まで純を送ったのちに、父の五郎から謝礼としてもらっていた2枚の札を純に返す。「オラは受け取れん」。札はピン札だが、そこに泥がついている。彼は、五郎が苦心して稼いだ金だということを察していた。純は涙をこぼしながら父と妹の螢との富良野での暮らしを思い返す。
自動車修理工場への就職という選択は、悪くなかった
当初、純が勤め先に選んだのは、東京の自動車整備工場である。先輩たちからは小突かれ、大事な泥のついたピン札まで盗まれた。純は、傷害事件を起こす。
思い描いていたのとは違う東京だっただろう。87年は、バブル期である。トレンディードラマ全盛の時代の中で、純だけが、つらい思いをしていたのだ。
ちなみに最初の勤め先はすぐに辞めることになったが、このときの純の自動車修理工場への就職という選択は、悪くなかったはずだ。電気工作が得意で、機械への関心を持っていた純らしい選択。手に職をつけたいという意識もあったはず。小規模の工場の収入は高くはない。だがこの先の時代まで見据えている。新車の販売台数は、このあとの1991年にピークを迎え、右肩下がりになるが、自動車の普及台数は、まだ伸び続けた。