占領下で「8月15日は終戦の日」と報道

ソ連と中国は9月3日としていたが、ロシアは9月2日に変えた。さらにプーチンはそれを元の3日に戻そうとしている。意外かもしれないが8月15日は日本だけだ(韓国は日本の朝鮮半島統治から解放されたことを祝う「光復節」を8月15日としている)。

ためしに、いつから8月15日を終戦の日とするようになったのかを新聞データベース「聞蔵II」と「ヨミダス歴史館」で調べると、終戦の次の年、つまり1946年からだ。朝日新聞は1951年には「降伏の日」としていたのを翌年には「終戦記念日」としている。読売新聞も1952年には「終戦7周年」とし1954年には「終戦記念日」としている。

日本が独自に決めたと思うかもしれないが、それはあり得ない。1952年までは占領下にあったので、このような重要な歴史認識に関わることは、すべて占領軍が検閲し、言論統制していた。原爆に関する報道は、検閲によって原則禁止し、広島では原爆投下の8月6日を「平和の日」と呼ばせたくらいだ。

「占領軍が日本を降伏させた日」が好都合だった

アメリカ政府自身は9月2日としているのに、なぜ占領軍には8月15日のほうが都合良かったのだろうか。それは、自分達がこの日に日本を降伏させたからだろう。9月2日では、ソ連軍も加わってしまう。言い換えれば、8月15日なら占領軍は「われわれが日本を降伏させた」といえるが、9月2日だと「われわれとソ連軍が日本を降伏させた」になってしまう。また、当時、占領軍にとって前者を強調したほうが日本の占領統治がやりやすかった。

実際、占領軍は1945年12月7日からウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(日本は無条件降伏した、日本人に戦争の責任がある、とした占領軍のプロパガンダ)の一環として「太平洋戦争史」を10回に分けて日本のあらゆる新聞に掲載させた。

この連載記事では、アジア・太平洋でアメリカ軍が日本軍を完膚なきまでに打ち負かし、8月15日の降伏に追い込んだことが強調されている。占領軍にとっては、8月15日は自分達が日本軍を打ち負かした記念日なのだ。私が「8月15日は終戦の日」は占領軍のプロパガンダだと主張するのはこの意味だ。

占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーからすれば、8月15日は自分たち軍人が日本を屈服させた記念すべき日で、9月2日はトルーマンたち政治家が日本を政治的に降伏させた日なのだ。マッカーサーが日本占領にあたってかなりの裁量を与えられ、しばしば国務省、および大統領と衝突したことはよく知られる。

天皇陛下とマッカーサー元帥の初会談(1945年9月27日、東京・アメリカ大使館にて)。(写真=U.S. Army photographer Lt. Gaetano Faillace/PD US Army/Wikimedia Commons