民族国家「ウクライナ」を生んだのはプーチン

つい数年前まで、ウクライナという民族国家は存在しませんでした。ウクライナが強い独立意識を持った民族国家になったのはつい最近のことですが、それはプーチン大統領の判断ミスによるところが大きいのではないでしょうか。それと同時に、ゼレンスキー大統領という稀代の役者が、「ウクライナ民族の英雄」の役柄を見事に演じた功績も忘れてはいけません。ここではウクライナの将来について考えます。

多くの国境が重なる地政学的悲劇

ウクライナの地政学的位置も良好とは言えません。南こそ黒海に面して最小限の「海への出口」があるものの、東はロシア、北はベラルーシ、西はポーランド、スロバキア、ハンガリー、西南はモルドバ、ルーマニアなど、多くの国と陸上国境で接しているからです。

18世紀までにウクライナはロシア帝国に併合されますが、ロシア革命で帝国が崩壊するとウクライナでは民族自決運動が起き、1917年にはウクライナ人民共和国の樹立が宣言されます。しかしその後、ロシア内戦などを経て、ウクライナはソ連邦の一部となります。

ウクライナはロシア発祥の地でもあり、ロシア人の対ウクライナ感情は複雑です。ロシア民族主義者の一部はウクライナを「ロシアと一体」でありながら「弟分」と見る傾向があるのに対し、ウクライナ側もロシアは完全には「心を許せない」が「頼りにせざるを得ない」隣国でもあると考えていたのではないかと推測しています。

2014年にロシアが侵攻し併合したクリミア半島も、ロシアから見れば元々ロシアの領土であり、たまたまソ連時代にフルシチョフが対ウクライナ懐柔策としてウクライナ共和国に編入しただけと考えています。プーチンのウクライナ観はこうしたソ連時代の記憶に基づいているのでしょう。