「いいね」を語彙から消し去るべき

何よりも、わたしがこれまでに読んだ論文には、「いいね」という表面的な言葉が生産性やパフォーマンスといった成功に関わる重要な指標に関連づけられているものは一本もなかった。

従って、わたしたちの語彙ごいから「いいね」を撲滅しようと提案したい。この言葉が陳腐で代用のきくうすっぺらい言葉だからだ。困難なときには、「いいね」はカットすべき脂肪だ。「あったらいいね」と思われる程度の新規構想や優先事項は、「あったらいいね」リストにしか入らないだろう。そして破壊的変化に見舞われた瞬間に、そのリストがどうなるかもわかる――「あったらいいね」程度の提案は消えてなくなるだろう。

言うまでもなく、現代にはその破壊的変化が現在進行形で起きているという現実がある。そして長期にわたって変化し続けるだろう。産業は変容し、ルールや規範は変化し、予期せぬ競合他社が次々と現れ、社会的にも政治的にも不安定なのが明らかだ……。また、パンデミックのような世界規模の危機も、わたしたちの身体と心の健康を損ねる恐れがある。

このような状況下では、「あったらいいね」程度のものはすべて、最後まで待合室で手持ち無沙汰に待たされるだろう。危機的な状況では、きわめて重要なものにしか酸素を投与しないものだ。

「いいね」は「あったらいいね」でしかない

もし、椅子を回転させて相手と向き合うことが「いいこと」なら、無害でやらないよりはマシ程度の行為と見なされるなら、誰もやらないだろう。

椅子を回転させようと提案するのは、いかなる状況であれ、成功するにはこの種の行動が不可欠だからだ。インクルージョンや協力、またはマインドフルネスの価値を議論するときにも同じことが言える。

これらの話題から宗教か、健康おたくか、スピリチュアルを思い浮かべるのであれば、すぐにそのイメージを払拭してほしい。これらは「いい人」になるためにやった方が「いい」ことではない。勝つため、すなわち自分と周囲の人々のパフォーマンスを最高の状態にするためにやるのだ。〈巨人の約束〉は21世紀の“パフォーマンス特権”だ――破壊的な変化の著しい新しい景色のなかで、個人や組織が成功するためにまずすべきことであり、欠かせない要素でもあるのだ。