教師を「教える人」から「共に学ぶ人」へ
――教師が「教壇の賢人」を脱し、助手や議論の進行役といった役割に転じることが理想だと、書いていますね(『ブレンディッド・ラーニングの衝撃』第2章)。日本の先生たちはどのように変わるべきでしょうか。
役割の転換は一筋縄ではいかないが、私が日本の学校を運営するとしたら、まず、1クラスの人数を減らす。教師が、学習方法を自由にリデザイン(再設計)できるようにするためだ。
4人程度の教師が100人前後の生徒を共同で担当するのがベストだ。1クラスを1人で担当するのは教師にとって負担が大きく、フェアではない。1人で何役もこなさなければならないからだ。教師も、同僚という「おとな」と協働し、交流しながら教えるほうが楽しいはずだ。また、教師にも得手不得手がある。補い合って教えるほうがいい。
次に、日本文化に照らせば「非常に外国的」と映るかもしれないが、教師が答えを教えるのではなく、「先生もわからないから一緒に考えよう!」と言って、教師自らが、人は一生学び続けるものだという手本を示すことも大切だ。教師がうまく質問を投げかければ、生徒は想像力をかき立てられ、「勉強したい!」という熱意を持つ。
先生は教えるべき内容を把握しているだけに、どのような質問が役立つかを心得ている。その点で、教師の役割は極めて大切だ。
生徒が学びの主導権を握るべき
――「究極の教育」とは?
最大公約数的な答えはないが、私の子供たちには、自ら学び方をコントロールし、他の人々と共存するすべを身に付け、多様性や異なる意見を尊重するためのルールを学べるような教育を受けさせたい。
そして最も重要なのは、子供たちが自分の人生を自分で決められるよう、キャリアや人生の伴侶を選ぶのに必要なスキルや知識を、学校生活を通して培っていくことだ。生徒たちが生産的な方法で学びの主導権を握れるよう指導する――。そんな学校が理想的だ。
米クレイトン・クリステンセン研究所共同設立者・特別フェロー
ハーバード・ビジネス・スクール卒業。破壊的イノベーションの力で世界をより良くすることを目指す非営利系シンクタンク「クレイトン・クリステンセン研究所」を共同で設立。教育問題の第一人者として、教育の未来に関する講演や米メディアへの寄稿、ポッドキャストを行う傍ら、数々の教育関連の組織に役員などとして関わる。著書に『ブレンディッド・ラーニングの衝撃 「個別カリキュラム×生徒主導×達成度基準」を実現したアメリカの教育革命』(教育開発研究所、小松健司・訳)や、クリステンセン教授との共著『教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する』(翔泳社、櫻井祐子・訳)など。近著に『From Reopen to Reinvent: (Re)Creating School for Every Child』(未邦訳)。米東部マサチューセッツ州在住。