自分のかけた言葉が受刑者に響いた瞬間
このときばかりは、入口さんはまくし立てるように、坂東に声をかけ続けたという。「覚醒剤の被害者がいないなら、なんで子どもに入院だと嘘をつくのか」「勝手なことをしても子どもは父親の体を心配してくれている」「涙が出るのは人間の証、泣きたかったら、誰が見ていても構わない」。そう言って、坂東を工場内の面接室に一人座らせることにした。しばらくすると、坂東の背中は震え始め、窓ガラス越しにその嗚咽が聞こえてきた。
入口さんは「自分のかけた言葉が受刑者に響いた瞬間だったと思う」と振り返る。
その後も坂東は、表面的には無愛想だったというが、内面には変化が見られたようだ。まず、日記に家族のことが綴られるようになった。それからしばらくして、考査工場での教育を終えた坂東は別の工場へ移っていった。
その翌年の秋、入口さんに1通の手紙が届いた。そこには坂東と家族が映った写真、そして、坂東の妻からの手紙が入っていた。
「その節は、主人がお世話になりました。覚醒剤とも手を切って……。主人は、先生に教えていただいた“家族は社会の出発点”という言葉をよく話してくれます」
刑務官は受刑者が出所してしまえば、便宜供与などの不祥事防止のため、一切かかわることができず、手紙が来ても返信はできないという。だが、この手紙を見て救われた気がした。
「罪を憎んで人を憎まず」という気持ち
人は働きかければ、変えられる。消えかけていた刑務官としての情熱に、再び火が灯された。それからは、受刑者から強くあたられても、「なにくそ」という気持ちで粘り強く接し続けたという。入口さんは受刑者と感情をぶつけ合ってきた経験をこう振り返る。
「被害者やご遺族の方には申し訳ないのですが、刑務官としてはやはり『罪を憎んで人を憎まず』という気持ちを持っていないといけません。刑務官が被害者感情を意識しすぎてしまうと、受刑者を正しく処遇できないのです。何が正しいかと言われると困るんですが、『矯正は人なり』って昔は口酸っぱく言われました。人間力を高めて、それを受刑者にぶつけていく、そういう刑務官人生じゃないとダメだって」
入口さんはどこか刑務官時代を懐かしむような表情を浮かべていた。