刑務所などに勤務する刑務官の仕事と、その思いはどのようなものか。NHK記者の杉本宙矢さんと木村隆太さんが、61年間服役した一人の男の刑罰と更生の姿を描いたノンフィクション『日本一長く服役した男』(イースト・プレス)の第7章「刑務官たちの告白 無期懲役囚と社会復帰の理想」より、一部を紹介しよう――。
鉄格子がはまった窓から陽の光が差し込んでいる
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30年以上、刑務官という職業に情熱を注いできた

「無期懲役囚に希望を持たすとか、そういう指導の仕方はできなかったですね……」

そう告白したのは、元刑務官の入口豊さん。大阪刑務所、滋賀刑務所など関西の刑務所を歴任し、30年以上にわたって刑務官という職業に情熱を注いできた。最後は地元に戻り、熊本刑務所で2018年まで勤め上げたキャリアを持つ。

私が入口さんに初めて会ったのは、Aの仮釈放から1週間が経った日のことだった。熊本市内の喫茶店で待ち合わせをし、杉本記者とその店を訪れた。元刑務官と聞き、目つきが鋭く、体格の良いイメージを勝手に抱いていたが、実際に会ってみると、体格は比較的小柄で細身、表情も口調も穏やかな人物であった。

私が出会ったときは退官してからすでに1年半が経っていたが、杉本記者は以前、受刑者の仮釈放や出所後の立ち直り支援を取材していたとき、熊本刑務所で会っていたという。

当時は退官直前、受刑者の仮釈放手続きなどを担当する「分類審議室」の統括だった。

刑務官がメディアに出て語ることは多くはない。しかし、入口さんは杉本記者が「無期懲役の取材をしています」と相談すると、「私で役に立つことがあれば」と快く取材に応じてくれたのだ。

現場に入って衝撃を受けた「カンカン踊り」

1953(昭和28)年生まれの入口さん。元々は調理師をしたり、児童養護施設で子どもの面倒をみたりしていたという。料理人という夢を目指して中華料理店で働いていたこともあったが、働きづめで身体を壊したことから、安定した公務員の仕事を家族に勧められた。何か人の成長にかかわる仕事がしたい。そんなとき偶然手に取ったのが、刑務官の募集要項だったという。

刑務官としてのキャリアが始まったのは、28歳のときだった。配属されたのは「東の府中」と並び「西の大阪」と言われる西日本最大の刑事施設、大阪刑務所。特にその一区画である「第四区」の受刑者は殺人犯が中心で、“泣く子もダマる”と恐れられた。「公務員だから楽だろう」という甘い気持ちがどこかにあったが、イメージと現場のギャップは壮絶だったという。

現場に入ってまず衝撃を受けたのは、「カンカン踊り」だったという。カンカン踊りというのは、かつて刑務所で行われていたという身体検査の方法だ。刑務官は受刑者が工場と居室を行き来する際に、危険なものを隠し持っていないか入念に確かめる。

そのために、まず受刑者たちを全裸にさせ、一人ずつ舌を出して両手と足を挙げるよう指示する。足の裏、口の中、脇や股の間も見る。受刑者はバンザイをしたまま、手のひらをクルクルとさせたりする。まるで踊っているように見えることから、そう呼ばれていたそうだ。