過労死しても自己責任
第4に、最悪の場合、過労から死に至ったとしても、それすらも自己責任にされてきた歴史があるということです。
教師の過労死遺族に、工藤祥子さんという方がおられます。祥子さんは2007年6月25日、中学校教師だった夫の義男さんを亡くされました。義男さんが倒れたのは、3日間の修学旅行から帰ってきた直後のことでした。修学旅行中、一日19時間勤務の日もあったほどだといいます。
義男さんの死後、同僚の勧めもあり、祥子さんは「夫の死は過労が原因であった」として公務災害を申請しました。しかし2年後に出された結論は、「不認定」。その後、祥子さんは裁判でいうところの二審に当たる「審査請求」を行います。
より細かくパソコンのログイン・ログオフの記録などから夫の実労働時間を割り出し、1カ月の残業時間が最大208時間あったと申請しました。その結果、義男さんの死から実に5年半がかかってようやく過労死であることが認められましたが、認定された残業時間はわずかに97時間。111時間分は証拠不十分か、「それは好きで働いたことです」と扱われてしまったのです(注)。
さて、これら4つは自発的勤務の扱いが教師の健康や尊厳を傷つけてきたという例です。それとともに、教師だけでなく子どもや社会全体に関わる大きな問題として、自発的勤務の扱いのままだと「教師の長時間勤務が改善しない」「人手が増やされない」ということがあります。
「残業代の支払い義務がない」「責任丸投げで業務を押し付けることができる」となると、使用者側に残業を減らさなくてはという意識が働きません。また、わざわざ追加の予算を割いて人手を確保する必要もありません。今いる人員が倒れるギリギリまで、教師を使い倒すことが可能なのです。
この法律のままで、果たして「教員不足」が解消されるのか……。
国は6月26日に、中央教育審議会で給特法の見直しを含めた「質の高い教師の確保」に関する議論を開始しました。「誰も先生になりたがらない」ような状況を改善するために、給特法の廃止を含めた抜本的な見直しが期待されます。
(注)「過労死が過労死と認められない問題」については、解決に向けた進展も見られます。工藤祥子さんが公務災害担当を務めた全国過労死を考える家族の会などの粘り強い活動の結果、近年学校にもようやくタイムカードが入るようになり、自発的な残業を含めた「在校等時間」の管理・監督が管理職の責任と明記されるなど、改善が見られるようになってきました。
例えば、2021年に文部科学省が示した学校勤務に関する「Q&A」には、次のようにあります。「給特法の仕組みにより、所定の勤務時間外に行われる『超勤4項目』以外の業務は教師が自らの判断で自発的に業務を行っているものと整理されますが、学校の管理運営一切の責任を有する校長や教育委員会は、教職員の健康を管理し働き過ぎを防ぐ責任があり、こうした業務を行う時間を含めて管理を行うことが求められる」(文部科学省「公立学校の教育職員の業務量の適切な管理その他教育職員の服務を監督する教育委員会が教育職員の健康及び福祉の確保を図るために講ずべき措置に関する指針に係るQ&A」2021年6月改訂版、5頁)