旅行先のフィリピンで5年ぶりに実の父と再会
「自分の周りのフィリピンハーフの人たちで大学に行った人は少ないですね」
田中さんは、大学に進学した。大学では外国人の先生も多く、社会問題について議論する授業も多い。間違ったことを言っても怒られることはない。そういう中で色々なことに興味を持ち、勉強だけでなく、学生団体を立ち上げたり、学生のまま会社勤めを経験したりした。
英語の勉強にも励み、通訳の仕事もできるほど英語力が身についた。仲間たちと環境問題やSDGsなどのテーマでオンライン企画を立てたり、英語のスピーチコンテストを主催したりしている。
大学2年生の時に、田中さんは友人とフィリピン旅行に行った。帰る時、空港に父が会いに来てくれた。5年ぶりの再会だった。「フィリピンはどうだったか?」「日本での生活はどうか?」といった話をした。昔そうしていたように、日本語で会話し、わからない言葉は英語を使う。久しぶりの親子の時間に田中さんも父も涙を流した。
大学3年生の夏には、スタディーツアーでフィリピンに1カ月滞在した。主催団体に許可をもらい、週末は父の家で過ごした。父は60代になっていた。
「父も高齢になってきましたし、また一緒に住みたいです」
法的には何ら関係のない2人だが、田中さんにとっての「父親」は、フィリピン人の父1人だけなのだ。
「ばれたら、という不安は常にある」
大学の親しい友人たちにも自分の生い立ちを話すようになった。話しても状況を理解してくれない友人、「気にしないよ」と言いながら、法律的に大丈夫なの? と不安に思う友人、ありのままを受け入れてくれ、話を聞いてくれる友人など、反応も様々だ。
「嫌な感じとか差別的な感じを出す人はいませんでした」
大学4年生に上がると、卒業研究で自分と同じようなフィリピンルーツを持つ人たちに話も聞くようになった。
「僕のように他人の戸籍に入って生きている人って結構いると思うんですよ。制度的には困ることがないんです。パスポートもとれるし、投票権もある。だけど、ばれたら、という不安は常にありますから、自分からそのことについて声をあげる人はいないと思います」