交番の前は避けて通るようにした

友達を家に連れてくるときも、母親から父のことを「お父さん」と言わずに「仲のいい知り合いと紹介しなさい」と言われた。でも仲のいい友達だけには、本当のお父さんと話した。

また実の父はオーバーステイだったため、遠出はできない。常に周りを警戒しなければならず、交番の前は避けて通るなど、小さい頃から気を遣った。

母はフィリピンパブで仕事をしていたが、周りには「介護の仕事をしていると言って」と言われていた。また、母は仕事とはいえ、好意がない客にも好意があるように見せる。そんな姿も幼い時から見ていた。

父はオーバーステイ、母はフィリピンパブ。そして自身は、実の父ではない日本人男性の戸籍に入っている。嘘ばかりの人生だった。

父だけが逮捕され強制送還となった

田中さんが子供の時は、夜、母が仕事に出てしまうため、実の父親と過ごす時間が長かった。父親からは「勉強しなさい」と厳しく言われることも多かったが、いつも一緒にいるため、田中さんは「お父さん子」だった。

父親との思い出は、小学校の頃の自由研究。小さな庭で父が育てていたトマト、ナス、ゴーヤ、里芋、インゲンなどを観察した。

「本当に凄いんですよ。何でも庭で育てちゃう」と当時を思い出し、嬉しそうに語る田中さん。

法的な関係は無く、オーバーステイ状態の「父」だが、田中さんは父親を一番頼った。しかし、中学3年の時、いつものように早朝5時から工事現場の仕事に向かうために家を出た父は、玄関の扉を開けると同時に警察に囲まれ、捕まった。父はそのまま連行され、フィリピンに強制送還された。父が捕まった後、母は号泣した。

手錠をかけられた男性の手
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「この時期が一番つらかったです。受験もあったし、学校でも友人たちとの関係に悩んでいましたから」

父がいなくなってから、母との関係も悪化した。今まで、父が作った夕食を一緒に食べながら、学校であったことも全て父に話していた。一番の理解者だった父を失った田中さんは、母と2人暮らしになってから「文化の違い」を感じるようになる。

「フィリピンの人と日本人との考え方の違いというか。母がわがままをいう時もあったり、『あなたのためにやってる』っていうのも嘘のように聞こえたりしてしまって」

進学の相談も母にはしなかった。大学受験前で勉強に集中したい時も、母は友人を家に連れてきて、どんちゃん騒ぎすることもあったし、家に男の人を連れてくることもあった。そして「フィリピンの父には内緒にして」と言われる。

今でも「偽装結婚したことで母が捕まらないか、僕も国籍が剥奪されないか、常に不安を持ってます」という。