現実はクイズ番組のようにはいかない

他者をモデルにして自分の行動を決めることは、死活問題にもなり得る。時間が切迫しており、不確かさや不明瞭さがある状況ならなおさらだ。そして、欠けている情報は社会的な手がかりで埋めるとうまくいくことが圧倒的に多い。

たとえば、映画〈ジョーズ〉の舞台になったケープコッドで水遊びをしているときに周囲の人が急いで岸に上がりはじめたら、近くにホホジロザメがいると考えて自分も浜辺に向かうのが得策だろう。

このように、自分のなかに根拠があり、脳が無理なく処理できるなら、その推測はいたって論理的だ。実際、大衆が正しく行動できるときもある。

〈フー・ウォンツ・トゥ・ビー・ア・ミリオネア〉は、挑戦者が四択問題に正解するたびに賞金が増え、全問正解すると100万ドルを獲得できる長寿クイズ番組だ。

回答に困ったときのお助けシステムの1つに、「アスク・ザ・オーディエンス」がある。これは、スタジオの観客が正しいと思う選択肢にライブ投票するもので(いまは手元の装置を使うが、メッセージングソフトで自宅から投票できた時期もあった)、その正答率は91パーセントにのぼる。ここでは大衆が文句なしに賢いと言える。

他人の真似が「集団的幻想」を作り出す

残念ながら、現実の生活ではそううまくいかない。大衆の英知を働かせるには、1人ひとりが個人として判断する必要があるからだ。互いの選択がわかり、他者のまねをするだけになったら、英知はたちまち愚かさに変わってしまう。

自分の判断を疑い、他者への同調を選べば、もはや個人ではなく群れの一員になってしまう。この過ちの種は、気づかないうちに物まねの連鎖として芽吹き、ほかの知識をすべて覆い隠して集合的幻想をあとに残していく。

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物まねの連鎖が始まるのは恐ろしいほど簡単だ。経済学者のアビジット・バナジーが開発したモデルによれば、連鎖反応の先頭にいる人物はかならず自分の知識に従っている。

2番目の人物も同じく自分の知識に従っているが、3番目の人物は前の人の行動をただまねしている場合が多いという。前の2人が同じ行動をとったときは、とりわけその傾向にある。

前の人々の行動を見てから、その行動をまねして自分の判断を放棄することは、個人として理に適っているとバナジーは指摘する。なぜなら、自分の知識に100パーセントの確信がないからだ。