当初は社会部希望、異動先は政治部

その後、入局5年目の2000年、東京の報道局に異動します。司法試験と事件担当という自分の経験を基に、社会部希望、としていたのですが、異動の辞令は政治部でした。

政治取材は基礎知識も経験もなかったため要領がわからず、初めは失敗だらけでした。政治部では最初に「総理番」という首相の動静を追う仕事を担当することで、基礎を構築するのですが、私は首相を見失ったり、面会に来る人の顔がわからなかったりして、毎日のように上司や先輩から怒られていました。

1年目は森喜朗首相と小泉純一郎首相の総理番を、2年目には古川貞二郎官房副長官番に加えて法務省を担当しました。そして3年目に安倍晋三官房副長官番となり、これが安倍さんとの出会いとなりました。

当時官房副長官だった安倍さんの担当になる

当時の安倍さんは、政界のプリンスと呼ばれていて、防衛や社会保障などの専門分野を持つ記者や派閥の取材経験がある記者が、活発にやりとりしているように見えました。最初はとっつきにくく、私がおぼつかない質問をしても「そんなことも知らないのか」という雰囲気。取りつく島もないまま時間が流れ、私は、上司に担当を替えてほしいと頼んだこともありました。

ところが2002年9月、小泉首相が北朝鮮に電撃訪問。これに同行した安倍さんは、それまで長年、拉致問題に取り組んできたことで注目を集め、一気にスターダムを駆け上がりました。そして直後の内閣改造で自民党幹事長に若くして抜擢され、「ポスト小泉」の筆頭格に。

平成14年9月17日、小泉総理は、日本の総理大臣として初めて北朝鮮を訪問し、金正日国防委員長と首脳会談を行った(写真=首相官邸ホームページ/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

各社が安倍さんを総力を挙げて追いかけるようになり、私も担当を続ける流れになってしまいました。もう頑張って食らいつくしかないわけです。私は、運を天に任せるような気持ちで、「焦って結果を求めず、マイペースに最善を尽くすしかない」と腹をくくりました。拉致や防衛については勉強をしながら、情報を取ることができる機会をうかがっていました。