約100年前のスペイン風邪の石碑も少なくとも2つ
伝承碑の中で珍しいものは、2014年に起きた、御嶽山噴火における慰霊碑(長野県王滝村)がある。突然の噴火によって登山者58人が亡くなり、5人が行方不明となった。噴火が起きた毎年9月27日には、碑の前で追悼式典が実施されている。
歴史をさかのぼれば、最古の伝承碑は、1361年に起きた正平地震で押し寄せた津波の碑(康暦の碑、徳島県美波町)といわれている。
最近では2021年、広島県安芸郡坂町の小屋浦公園に西日本豪雨災害(2018年7月発生)の碑が設置された。伝承碑の横には、土石流で流れ出た巨石が置かれ、当時の様子をリアルに伝えている。さらに「災害から自分の身を守るためには、早めの避難をすることが最も重要」との説明が添えてある。
伝承碑は、地元自治体などが施主になって建立することが多い。自然災害の伝承に限っては、デジタルデータとして残すよりも、超アナログ的に石の造形物として残すほうが、はるかに効果的である。
伝承碑は、水害・台風・地震・津波に関するものがほとんどだ。他方、感染症の伝承碑は極めて少ない。それは、パンデミックが数十年〜100年という長期スパンで起きていることや、他の自然災害に比べて「防ぎようがない」という人々の諦めの境地もあったかもしれない。
国土地理院に問い合わせれば、感染症に関する伝承碑の情報収集や公開は「国土地理院の定義のなかでの自然災害ではないので、感染症は対象外」としている。
前回のパンデミックとして知られているのは、わが国だけで2500万人が感染し、38万人以上が死亡したといわれる大正時代のスペイン風邪だ。日本においては、1918年8月下旬から第1波が始まり、いったんは下火になるも1919年秋から翌1920年にかけて第2波以降が押し寄せたとされている。
筆者が調べた範囲では2カ所、スペイン風邪の伝承碑が建立されている。
ひとつは大阪市天王寺区の一心寺にある慰霊碑だ。細長い角柱型で、正面に「大正八九年(大正8・9年)流行感冒病死者群霊」と刻まれている。施主は大阪市内の薬剤師小西久兵衛となっている。大阪では1919年の第2波がより強力なものであった。大阪全域では、47万人以上の感染者と1万1000人以上の死者を出している。
多くの人々が感染症で亡くなっていったのを目の当たりにし、小西は薬剤師としての無力感、責任感に駆られて伝承碑を立てたのかもしれない。いち民間人が私財を投じて伝承碑を建立したことに、頭が下がる。
ほかにも、スペイン風邪の伝承碑の類では、「丹後大仏(筒川大仏)」(京都府伊根町)がある。高さ4mの大きな石仏である。
1917年、地元の製糸会社の工場従業員116人が東京に慰安旅行し、多くが感染した。京都に戻ってきて発症、42人の工員らが死亡した。それを悼んだ工場長が翌1918年に金銅仏を建立した。丹後大仏は第2次世界大戦時の金属供出の憂き目に遭い、現在の石仏が2代目として造られた。
この大仏の前では、毎年春にお釈迦様の誕生日を祝う花まつりが実施され、スペイン風邪の悲劇を伝承し続けている。