「貧すれば鈍する」は真実

貧困は、そこから脱するためにお得な情報や節約を習慣づける文化を学ぼうとしない「愚かさ」ゆえに生じてしまうという指摘は一理ある。

しかし、貧困がそれ以上に根深い問題であるのは、その因果の矢印を逆転させた理路もはっきり存在していることだ。

ようするに「愚かだから(合理的判断ができず)貧しくなる」だけでなく「貧しいから(合理的判断ができず)愚かになる」という機序も明確に存在して、貧困層をますます貧しくしてしまうのである。

怠惰でもなければ愚かさでもなく「貧しい生活によって生じる心理的ストレス」が人びとから経済的に合理的な判断能力を低下させ、みずから貧困のループを作ってしまう(※1)。「貧すれば鈍する」とは昔の人はよくいったものだ。

写真=iStock.com/egadolfo
※写真はイメージです

貧困層は文字どおり経済的な余裕がないので、貧困状態にある人はたとえほんのわずかな出費でも生活が立ちいかなくなることへの不安に絶えずにさらされている。そのような心理的ストレスの強い高リスクな状況下におかれると、人は脳内の認知的リソースのほとんどを「生活を無事にやりくりするリスクマネジメント」に割かなければならなくなる。ほかのことを考えられなくなって、非合理的な判断に奔ってしまう。

ようするに、語弊を恐れずに言えば、貧困層がしばしば非合理的な行動――たとえば、スーパーでなくコンビニに行って特売でもないフルプライスのカップ麺やレトルト米を節約しているつもりで値札もろくに確認せず購入してしまうような行動――をとってしまうのは、かれらが逼迫ひっぱくした生活を送っていることによって脳内の認知的リソースの余裕がなくなり、その結果として「バカになってしまっている」からだ。

低所得者が家計や生活のやりくりのことを考えると認知機能が低下してしまうことが実証されている一方、高所得者が同じことをしても認知機能は低下しないことも明らかになっている。つまるところ、高所得者は賢いから高所得者であるだけではなく、高所得であるという状態そのものが認知的リソースの余裕を生み「より賢明で合理的な判断」を生活上でも安定的に維持しやすくして、大切な財産を無駄遣いから守り、所得をさらにブーストさせているということだ。

貧しさそれ自体が頭をわるくし、豊かさそれ自体が頭をよくする――結果として貧困層と富裕層の経済的・文化的・認知的格差はさらに開いていく。