「上質な暮らし」がさらに豊かさを呼び寄せる
貧しさによって日常生活において心理的ストレスの強い状況で生活している人びとは、そうしたストレスの小さな人びとと比べて、余暇時間を与えられると得てして享楽的で非生産的な遊びにだけ費やしてしまう傾向が強くなってしまうことも明らかになっている(※2)。
貧困層は、日常生活で断続的に味わわされる強い心理的ストレスをどうにか発散させるために、短期的に強い快楽を得られるような行為――たとえばギャンブルや飲酒など――に没頭せざるを得なくなるのである。
貧しい人びととは対照的に、高所得層はそうした生活防衛によって要求される心理的ストレスやコストが小さいため、余暇時間には読書やセミナーなどの自己研鑽あるいは美術・芸術鑑賞といった文化的・教養的活動に回すことができ、それが結果的にかれらのビジネススキルの上昇やインスピレーションの向上に貢献している。
手持ちのカネの多寡によって生じる「生活をやりくりするしんどさ」の格差は、それ自体が「認知的格差」に直結し、貧しい人をますます貧困に絡めとられるような行動に駆り立て、富める人をますます豊かで上質な暮らしにつながる行動を促進する。
「ネット言論」がとらえきれないこと
昨今のインターネットやSNSの「貧しさ」についての議論は往々にして「節約術を実践しスーパーで買い物をして自炊ができるくらいには文化的訓練を受けているが、しかし現在は(なんらかの不運によって)金がない人」――ようするに「高学歴・高文化な貧乏人(おそらくは自分たち自身のこと)」を前提にして語られがちである。
カップ麺の高さや袋麺を特売で買うことの賢明さや合理性を説くのはごもっともだが、それは貧しさの原因というより結果だ。
貧困それ自体が「愚かさ」の根源であること、そして「愚かさ」によって作り出された慣習や環境がさらに貧困を深刻化させ、深刻化した貧困がさらにその人の「愚かさ」を加速させている――という負のループ構造があることこそ、より多くの人に知られなければならないだろう。
なぜ社会に再分配が必要か。それは「不平等だから」「ズルいから」というより、「貧すれば鈍する」という“呪い”にかかっている人の絶対数を減らし、社会全体の活力や生産性、そしてなによりひとりの人間が人生で味わう充実感や幸福感の総和を高めていかなければならないからこそでもある。
(※1)NOAH SMITH “Personal stress, not laziness, perpetuates the poverty rut” (The Japan Times) Feb 24, 2020
(※2)Bartos, Vojtech and Bauer, Michal and Chytilová, Julie and Levely, Ian, “Effects of Poverty on Impatience: Preferences or Inattention?” (September 1, 2018). CERGE-EI Working Paper Series No. 623