身分差別や女性への暴力も残っているのではないか

中根は、会社のような「場」への所属を重視する日本とは対照的に、インドのカーストは「資格」の一種であり、同じ「資格」をもつ者のあいだでは対等だという意識が強いと結論づけた。たしかに、研究会で若手研究者が大御所に対してモノ申す、という光景は、インドではそう珍しくない。日本であれば、「空気を読まない奴」と切り捨てられるのだろうが。どうみても、日本人とインド人のあいだには、同じ「アジア人」として括ることができないほどの違いがある。

民主主義とか自由といった社会的な価値観を共有しているかどうかとなると、もっと疑わしいと思うかもしれない。インドは古くからのカースト制にもとづく身分差別が根強く、女性に対する暴力もまん延している社会なのではないのか? 中国やパキスタンなど他国に対してだけでなく、国内で異論を唱えるようなひとびとに対しても、すぐに銃口を向けるような国ではないのか? 自由化したとはいっても、長期にわたった規制だらけの社会主義経済の影響が色濃く、根本的にはいまでも腐敗や汚職がはびこる体質は、変わっていないのではないか?

片手を失った老人が車の窓を叩いて物乞い

そういった問いは、インドに行ったことのない人でも、なんとなく浮かんでくるだろう。しかし実際に旅をし、暮らし、働いてみると、その疑問は解消されるどころか、さらに大きくふくらむようだ。筆者自身、今世紀初めにニューデリーの日本大使館で勤務していたとき、片手を失った老人が車の窓をトントンと叩いて物乞いをする姿を、毎日同じ交差点の真ん中で目にしたが、そのたびに、「この社会はどうなっているのか」と胸が締め付けられるような憤りを覚えたことを思い出す。また、初めてパキスタンとの係争地であり、分離武装勢力の活動するカシミールを訪れた際には、数十メートルおきにライフル銃を構えて並ぶ兵士の姿、抗議の声をあげる若者を容赦なく棒で殴りつける警官をみて背筋が寒くなった。

写真=iStock.com/Arkadij Schell
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私が赴任して1年半ほどたったころのことだ。私の直属の上司にあたる政務班長が新たに着任してきた(ちなみにこの班長はその後、複数の国で大使を歴任された方である)。家探しや挨拶回りで外出先から帰ってきた彼は、執務室に入るなり大きなため息をついて私にこう問いかけた。「伊藤さん、この国って、ほんとうに民主主義なのかなあ?」キャリア外交官のあまりに直截な問いに、まわりの館員からは思わず笑い声があがった。しかし、よく考えてみると、深い問いである。永田町や霞が関で語られる「民主主義国インド」と、現場の姿には相当の乖離があったのだろう。