6歳にして「孤独な存在」となってしまった

しかし不幸はそれだけで終わらなかった。さらなる不幸が岸屋を襲う。祖父の小左衛門が久壽の後を追うように翌年の明治元(1868)年に亡くなった。これで残った身内の人は、祖母ひとりだけになってしまったのである。

祖母の浪子は、富太郎を大切に養育してくれた。しかし浪子は小左衛門の後添えであったため、富太郎とは血のつながりはなかったのである。祖父の死によって、兄弟もなかった富太郎は、血縁関係にある人がまったくいない、きわめて孤独な存在となってしまったのだった。6歳にしてわからぬまま連続する喪失感は計り知れない。

開運を願った祖母による改名で「富太郎」誕生

岸屋は代々続く旧家でもあり、家の仕来りも自然にできていたのだろう。富太郎の父母と祖父が亡くなった後も、祖母が父母に代わって采配を振るい、岸屋の面倒をみた。祖母の浪子は、佐川村に隣接する現在の土佐市に属する高岡村の川田家の出身だった。書に巧みなだけでなく、和歌をよくし、明治時代になる前は領主家にも出入りしていたといわれる人だった。岸屋に残っている浪子の筆跡を見ても、決して凡庸な婦人ではなかったことが窺われる。

大場秀章『牧野富太郎の植物愛』(朝日新書)

富太郎が生まれた頃の佐川では、改名という風習があった。「家名」といわれる生まれた時に与えられた名前を、のちに別の名に改める習慣である。両親、祖父を相次いで喪う不幸が続いたことから、心機一転と運が開けることを願った浪子は、彼の名を家名の「誠太郎」(臍の緒袋の表書きでは「成太郎」と記されている)から「富太郎」に改名する。「牧野富太郎」の誕生である。

彼が富太郎に改名された1868年は、奇しくも265年間続いた江戸幕府が統治権を天皇に返上し、武家政治に終止符が打たれ、社会のしくみもあらたまった、新しい年の始まりとなった明治元年である。偶然とはいえ、何か因縁深いものを感じるのは筆者だけではないだろう。

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