「逸話のなかでは触れられていませんが、東郷元帥が歩いていたのはいつもの通り道で、毎日その荷馬を見ていたのでしょう。そして、そのときは荷馬が異常に汗をかいていたり、周りにアブが飛んで嫌がっていたりしたか、いつもとは違う雰囲気であることを察知して、危険を回避したのだと思います。一度も負け戦をしたことがなく、『運のいい男』と評された東郷元帥ですが、そうした変化を察する能力が、きっと数々の戦に活かされていたのでしょう」と内田教授は見ている。
この東郷元帥のように、身に災いが降りかかる前に変化を察知して身を処することを、武道の世界では「先の先」という。一方で胆力のない人が変化を見過ごし、最後に胆をつぶして居着いてしまうのは「後手」に回っているからである。
こうした教訓はビジネスの世界においても応用ができる。経営方針を決める重要な会議に臨む際に、「こういった質問が出たら、こう答えよう」という想定問答をつくることがある。しかし「そう考えること自体がすでに受け身の姿勢で、後手に回っています」と内田教授は批判する。
「これで事足りる」と安心していて想定外の質問が出た途端、頭のなかが混乱してしまう公算が大きい。
「『こういった質問が出たら』ではなくて、『こういう質問をさせよう』と180度逆の思考で先手をとったらいいのです。同じ内容のことを応答するのであっても、『される』のと『させる』のでは、その場を支配する力が決定的に違ってきます」と内田教授は指摘する。
しかし、自分より強い立場にいる社長から難しい質問を投げかけられたような場合には、どう処したらよいのか。内田教授は「『生まれたときから、すべてこうなると運命で決まっていた』『他の人よりもうまくやれるから、この場にいるのだ』と割り切ってしまいましょう。そうすると、ぎりぎり追い詰められた状況でも、気持ちが落ち着いて先手に回れるようになります」と話す。
自分を守ろうとすればするほど、相手の出方を窺って後手に回ってしまう。武道の稽古は、「守るべき私」を廃する道でもある。「こんなことがなければ」「あいつがいなければ」という気持ちは、その守るべき自分から発せられている。そうした気持ちを振り払い、後手から先手に切り替えられれば、危機的場面も打開することができるはず。それを武道の世界では「後の先」という。
1.胆をつぶす前に自分から驚いてしまえ
2.小さな変化を察知して「先の先」をとれ
3.後手に回ったら「守るべき私」を捨てよ