社員の子どもが学校から会社に帰ってくる

産む人は産み、産まない人は産まない。自然にそうなったのであれば、後悔も自己否定もする必要はない……。それは頷けるが、均等法世代が味わったのは「産みたくても産めない」状況だったのではないだろうか。あるいは彼女たちが迫られたのは、「仕事か子育てか」という不条理な二者択一だったのではないか。

撮影=市来朋久

「ダイヤル・サービスの場合は、創業当初から女性ばっかりだったし、会社はこうではなくてはならないという考え方もなかった。やっぱり、自然にそうなっていったという感じなんだけど、創業の時は独身だった人が結婚をして、子どもを産んで、その子が小、中、高と育っていく。お母さんが仕事をしているから、学校が終わると直接ダイヤル・サービスに『ただいまー』って帰ってくるわけ。会社の中でバタバタ暴れまわって、いろんなものを壊したりして、みんなに叱られながら、でもちゃんとお三時を出してあげたりしてね……」

ある日、今野さんが会社に戻ってくる途中、社員のひとりが別の社員の子どもを自転車の後ろに乗せて走っているのを見かけた。何をやっているのか尋ねてみると、なんと、今日は時間があったから、仕事が忙しくて手を離せない社員の子を幼稚園までお迎えに行ってきたという返事である。そうしたことが、制度としてではなく「自然に」行われていたことを、社長の今野さんも知らなかったという。

牧歌的な時代のエピソードだと言ってしまえばそれまでだが、今野さんの言う「自然なこと」を失わせた要因はいったい何なのかを考える必要はあるだろう。

虐待をしてしまう親のことが心配

「いま、親による虐待が理由で自殺してしまう子どもがいるでしょう。もちろん子どもの命が失われることはあってはならないんだけど、私は虐待をしてしまう親のこともとても心配。彼女たちは、地域社会が壊れてしまった後に生まれている。だから、助けてくれる人が周りにいないんですよ。よしよししてあげなくてはならないのは、まずは、母親の方なのかもしれない」