桑名で一度死んだ

今野さんの故郷は三重県桑名市である。木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の河口に位置し、名古屋市と四日市市に挟まれた桑名市は、東海道屈指の宿場町として栄えた歴史を持つ。今野さんの言葉を借りれば、「神社仏閣の多い、美しい水と緑の町」だった。

撮影=市来朋久
育った町が焼かれた時、脳裏をよぎったのは動物たちのことだった。

その美しい町が灰燼に帰したのは、1945年、終戦の年だった。年初から5次にわたるB-29の空襲を受け、市街地の実に90%を焼失。全焼家屋約7000戸、死者416人という大きな被害を受けた。今野さんが9歳の時の出来事である。

「ある晩、名古屋が燃えて、まるで花火でも見るように眺めていたんだけど、次に四日市が燃えて、ついに桑名の番がやってきた」

今野さんは6人姉妹の次女で、下にたくさんの妹がいた。祖母と母は幼い妹たちを乗せた乳母車を押しながら逃げたが、今野さんは猛火の中で家族とはぐれてしまった。

「ひとり火の海に取り残されて、すぐ近くに焼夷弾を受け私は殺され、一度目の人生が終わりました」

何時間か気を失って目を覚ますと、見知らぬ男の人に背負われていた。男はこう言った。

「この道をまっすぐ行くと金龍桜という大きな桜があるから、その桜の木に登って夜が明けるのを待ちなさい。必ずお父さん、お母さんが迎えにくるから」

蝙蝠も蛙も鯉もみんな死んでしまった

今野さんは、男に言われた通り大きな桜の木に登って桑名の町が燃え尽きるのを眺めていた。その感想が、不謹慎な言い方かもしれないが、ちょっと変わっている。

「家の近くに大きな銀杏があって、その銀杏に何千羽という蝙蝠が棲んでいた。いつも夕方になるとその蝙蝠たちが羽ばたいて町の上を舞った。お寺の池には蛙や鯉がたくさんいた。銀杏もお寺も燃えているから、蝙蝠も蛙も鯉もみんな死んだんだなと思ったんです」

9歳という年齢もあるのだろうが、今野さんの脳裏をよぎったのは、常日頃親しんでいた生き物たちの死だった。

幼い頃、お転婆だった今野さんは、橋の欄干に上って遊んでいたことがあったという。橋の上には荷馬車が止まっていて、馬が飼い葉を美味しそうに食べていた。今野さんは欄干の上からその馬の頭をなでた。すると、驚いた馬が振り向きざまに今野さんを跳ね飛ばす形になった。

「その馬は、目にも止まらない早さで私の腕を噛んで、川に落ちるのを止めてくれたんです。命の恩人ですよね。でも、噛まれたところから大量の血が出たので、周りにいた男たちがわっと集まってきて馬をボコボコにしてしまったんです。その時、馬と目が合ったのね。私と馬以外には真実を知らないわけ。私は悲鳴を上げて必死に馬の無実を訴えたんだけど大人たちには通じない。馬が『ごめんね』と言ったかどうかはわからないけれど、ごめんと言うべきは、いたずらした私の方です。あの時の馬の目はいま思い出しても涙が出ます」

今野さんは、こうした出来事こそ人生に大きな意味を持つ出来事だという。「声なき者の声を聴いた」、などという理屈も思い浮かぶが、今野さんは生き物とのたくさんの思い出を抱えており、いずれ本にしたいという願いを持っている。